夏⑦ なななんきりこ→古谷実
2007年 08月 15日
夏っぽい画像。
プールにいっている小学校の下駄箱前。
夏の質感。
なななんキリコ(携帯だと漢字出ないな)の新作が出ていると聞き本屋に走った。
「キャンディーの色は赤。」
絵の線が全体的に太くなって、最初からそれほどない少女マンガっぽさがさらに薄れた気がした。
言葉は鋭さが増している感じがして、俺にはよりダイレクトに伝わってくるようになった。
一遍一遍ゾワッてくる感覚がある。
なななんキリコ読む度これに感じ入る男ってどーよ。って思う。
なななんキリコを好きな男にまだ会ったことないんだけど、逆に友達になれない気がするなぁ…。
続いて古谷実「わにとかげぎす」。
7月に4巻が出て完結したのに金なくて買えなくて忘れてたのを思い出して買いにいった。
ヒミズ以降の古谷の作品を、俺はとてもリアルに感じる。
幸せとか不幸とか社会とか世界とか孤独とかの抽象的な事柄と、現実世界の結びつけ方が自分と似ている。
それに自分もそうなるかも、的な危うさが全体に散りばめられてる。
だから俺はなんか毎回他人ごとに思えずに読んでしまうのだが、人によっては全然違うんだろうな。
今回のわにとかげぎすも笑ったし考えさせられたしハラハラドキドキして一気に読み終えた。期待通り。
結末について。
あー今回は着地点はここか、と思った。
最後まで不穏な気配をにおわせたまま(ラストから4ページ前の大きいコマどうよ?)、幸せの中に。
平穏な不安定とか言えばいいかな。
古谷は何が書きたいんだろうな。
ちょっと気に入らないのが、シガテラもそうだったんだけど、主人公がかわいい女の子に惚れられてそこから幸せを見つけだして行くこと。
男は女によって救われるって感覚的にスッゴいわかるんだけど、なんか一方的すぎないか。
エロ本とかと似た都合良さを感じる。
あと、降ってわいた絶対的な暴力が毎回出てくるんだけど、それが暴力団とかヤクザって部分で出してくるのが多いね。
そうじゃないものもいっぱいあるけど、目立つ。
また一作終わって次回作が期待されます。
「小説ヒミズ」も読んだ。
茶沢さんが主人公と聴いて、微妙な位置づけの本になることはわかりきっていたけど。
予想以下。あんなの売るな。
一応最後まで読んだけど。
テニプリでBL小説書いてる高校生のがまだ可愛げある。
小説書いてる山崎って人の中の茶沢さんってこんな感じなんですか。
俺の中の茶沢さんと違いすぎる。
マンガではどこかとんでる娘なんだけど、それが小説だと全部演技ってことになってる。
それダメだろ…。
中学生の女の子なんて実際そんなもんかもしれないけれど俺は許さん。
何が言いたいのかというと、古谷実の「ヒミズ」→「シガテラ」→「わにとかげぎす」は多くの人に読んでほしい、「小説ヒミズ」は読まなくていい(とくに男子)、ということです。
マンガ界をFF6の敵キャラで例えると、手塚治虫がケフカ、なななんキリコと古谷実と浅野いにおが三闘神です。俺にとっては。
その地位は揺るぎませんでした。
例えと言うのは話をわかりやすくするものなのにそうなっていないのが残念ですね。
でしょ。