1月20日 弟の家へ
2007年 01月 23日
涼人が千葉にある大学にいってから3年たつのに、まだ一度も遊びにいったことがなかった。
広かった。
おそらく、8畳6畳6畳の3間か。
核家族が住める!と思った。
こちとら今は約5畳、来年から1畳+キッチンくらいのスペースが増えるって喜んでるのに・・・。
カーテンのレールの上に酒のビンがおいてあって、地震がきたら割れると思った。
10足以上靴があって、足何本あるんだ、と思ったり、服がやたらあって、体がなんこあるんだ、と思ったりした。
ソファーとか、お洒落なテーブルとかあって、カーペットがしいてあったり、ビートルズのポスターが貼ってあったりした。
トイレの窓際にはディズニーキャラクターの置物と、鉄人兵(だっけ?ラピュタの)の置物があった。
レンジもポットもオーブンもあった。中華なべもあった。
トイレットペーパーが緑色の花柄模様だった。やわらかくて、2枚だった。
ものがないわけではないが広いからか、がらんとしている。
なぜか、おちつかない。
なんかしなきゃって感じになる。
一方俺の部屋は、両壁はダンボールで埋まっていて、地震がきたら本の入った段ボール箱に殺されるんじゃなかろうかという有様だし、足の踏める場所がもはや2畳分もない床のうえには本やら新聞やらが放置されていて、もう床に座ることは出来ない。
ベッドの上には、本が数十冊と、布団と抱き枕とクッションと取り込んだ洗濯物(布団だけで寒いときはかけて寝るため)があって、寝るスペースが本当に狭い。あなぐら感覚。
同じ家に住んでた時点でも違いはあった。
俺の部屋は本やら、紙やらで雑然としていて、涼人の部屋は何にもなかった。
それが、大学になって、使える金銭の量も変わるとその違いがもっとはっきりと見えてくる気がした。
根底の価値観って結構似ているとは思うのだが、表出の仕方がまったく違う。
不思議だ。
うちの父親を文化系で几帳面、母親を体育会系でおおざっぱ、とするならば、俺と涼人にそれぞれ分かれて形質が受け継がれている気はする。
ご飯を食べに行ったら、涼人の大学の学生にあった。
涼人は順天堂大学で、なんらかのスポーツに秀でている人がほとんどだ。
大学までいってスポーツやってる人ってひねくれている人が少ないと思っているのだが、今回も裏切られなかった。
表情は明るいし屈託のない雰囲気。そしてみんな体がでかくて感心した。圧倒される。
夜は布団に入っていろいろ話した。
涼人と真面目に恋愛の話とか将来の話とかをしたのはたぶん初めてだ。
今思い出しても笑っちゃう。ちょっと修学旅行ノリだった。俺だけが。
あ、あとラーメン屋にいった。
くるり岸田と矢野絢子のサインがおいてあった。
「ホントの気持ち」のプロモ撮影に使われたそうな。
うどんみたいなあっさりしたスープで、とてもうまかった。
とんこつばっかりの東京では食べられない味だ。
まあ、まとめのある話でなく、思ったことを流れでつらつらと書いてみた。
たまにはこういう日記もいい。
ラーメンの前に公園と墓場と神社(寺でなく)が一緒になったような空き地らしきものがあったのだが、そこにこんな看板が立っていた。
憤慨しているのかもしれないが、全然怒りが伝わってこない。
