こないだ
2006年 10月 01日
曲に対する向き合い方とかって人によってぜんぜん違うんだな、と思った。
ま、あたりまえのことなんだけど。
作詞や作曲をする人と作詞や作曲について話すことって意外と少ない。
話すことなんてないよ!の少ないではなく、話す機会が少ない。
なぜか。
気になっても聞きにくいからか。
曲で伝わることがすべてだとか、そんな風に思ってないとは言いにくい。
曲で伝わることがすべてだ!とは言い切りたくはないのだけど。
矛盾してるし。でもそんな感じなのです。ああ、すげえ微妙なニュアンス。わかるかな。
曲の内容について尋ねるのは野暮なんじゃないかってやっぱり思ってしまうしね。
曲を聴いて聞き手が作った世界がやはり大切なのだろうし。
まあ、好きな歌だと曲の世界とか印象とかイメージとは別個に、その歌が作られた過程とかはやっぱり気になる。
そして曲の内容じゃなくても作詞や作曲について話すことっていっぱいある。
機会見つけて身の回りで曲作ってる人ともっと話してみようかね。
誰を知るってことは、自分を知るってことにもつながる。
結局他者を通してしか自分は見えない、ってことかしら。
なんだかちょっと説教くさくなった気がする。

が、しかしそれは、研究者の視点であったり、それを近いところでやっている人に限られると思うのですよ。
単なる消費者であるぼくには、結局出されたものを味わうしかない、とか思うよ。
おかんの料理なんかもそうかも、とか。
おっと論理の飛躍。
ひととなりを知るってのは、作家論的な研究みたいになるしね。
研究者の視点ってのはそうだな。
でも、好きだったら踏み込みたくなるってのも俺はわかるんだけどねー。
近いとこでやってなくても、好きな小説や絵や演劇を作り出した人のことって知りたくなるもん。
俺もそれについては単なる消費者だけど、こっちからアクセスできる距離にいる生産者もいるわけで。
消費者と生産者はどこかでつながっているとも思うのですよ。
おかんと君の関係みたいに。
おっと論理の飛躍。