ぽっかり
2006年 07月 02日
去年の8月に「別れ」とかいう記事を書いたのだけど、その時に書いてることと同じような気持ちを感じている。
「そっちの記事みて」って言ってしまえばいいくらい。
そんなに変わらないのだなあ。
今回は前回と違って本当に前触れがなく、何がなんだかわからなかった(実習中ってどうなのよ、とは思った)。
普通にデートする気で出かけたからね。
簡単に言えば、彼女に好きな人ができた、ということなんだけど。
おおもとの原因はそれだとしても、他にもいろんな原因が考えられる。おおもとの原因を引き起こした原因。
4月から遠距離だとか、彼女の方の環境がいろいろ変わったとか、それにあわせて求めてるものが変わってきたとか。
原因なんて、結局のところ俺が見いだしている訳です。自分が感じたこと、彼女が言ったことの中から納得いくものだけを選びとって「確かに」と思う部分を原因に据える。後付け。
何だって原因になる。
やめよう。
俺の視点。
春の環境の変化で別れるカップルってめちゃくちゃ多いし、そうなるかもしれないという可能性を考えた上でそうならないように日々を送っていたのだけど、何にもならなかった。
正直なところ、「時間を戻せたらこうするのに」といった後悔が全くない。
同じ状況になったらまた同じように別れる。
どうしようもない。
絶望的無力感。
これが原因と言われるかもしれないけど、自分の内部の別れの原因を見いだせないのだ。
他人に対して何かができるだなんて本気で思っちゃいないけど(思わなくなったのはいつからだ?)、彼女一人に対してはそんなエゴイスティックな気持ちになっていたよ。正直なところ。
彼女一人なら幸せにできんじゃないかとか。一緒に幸せになれるんじゃないかとか。
「僕の中での彼女」と「彼女の中での僕」の違いに愕然とした。
俺はそれが似たものであると思い込んでいたから。
ずいぶん違ったのだ。
痛み。
痛みは結局個人個人のもので比較したところで何も始まらない。
「よくある話だ」「失恋なんてみんなしてる」とかそんなこと言ってやってくる痛みを一般化しようとするが、他人の痛みってわからないから、結局一般化しきれない。
当たり前。
彼女は痛みを感じないんだろうか。
俺の前ではそんな風見せないけど、強がってるんだろうか。
ふられた側がそんなことを考えることもないんだろうけどな。
3ヶ月という期間で人は変わるもんだ。
変わる変わらないの二項対立で考えたら彼女はいろいろ変わって俺はほとんど変わらなかった。たぶんそう言える。
それに原因を結びつけようとすると面倒なことになる。
変われなかったのが原因だとか、変わってしまったことが原因だとか。
やっぱり原因とかはどこにでも求められるからここでストップ。
そしてだいたい俺はここに原因があるとは思っちゃいない。
変わるということ。
皆、変わりたいと思っていながら変わりたくないと思っているんじゃないかと俺は見ているんだがどうだろう。
変わらなきゃ終わりだ。
だけど変わった先なんてどうなるかわからない。
俺は何かが変わってしまうことに対して痛みを覚えることが多い気がする。
10年20年後には「昔はよかったなぁ…」なんていっている懐古主義者になりそうだ。
なんで失恋するとブログに書きたくなるんだかなぁ。
俺は何か(出来事とか、その感想とか)を誰かに話したいという欲求がある。
なんでも話せる人がいると、何かあったらその人に話せばいいからその欲求が満たされてしまう。
彼女いなくなるとただ単純に一番身近な話し相手が消えるので、その欲求のもって行き場がなくなるってことみたいだ。
どうでもいい話って他人にしにくい。
同語反復のようだがどうでもいい話なんだからね。
だからどうでもいいことはブログに書いていた。
俺の失恋だってまあどうでもいい話だなと思うからブログに。
でも、誰かに知ってもらいたいとか何かを残したいとかそういった気持ちもやっぱりあるな。
実習はじまって、別れてからはブログをまとも書いていなかった。
何に対する義務感かわからないけどちゃんと書かなくちゃいけない気がして。
あ、あとブログに書く意味。
あう人あう人に説明しなくていいように。
自分の生き方と別れた彼女の生き方をともに肯定するのは難しい。
自分か彼女を否定してしまうのはとても楽だ。
失恋てやはり相当自分が否定された気分になる。一番大切な人に「いらない」って言われる訳だからな。
これをバネに、彼女を否定するのも簡単。でも俺はそんなに自分のかっこいいと思っているものを変える気はない。
自分の生き方と別れた彼女の生き方をともに肯定するのは難しい。
何も忘れない。
何もなくさない。
負けるか。