ゲームに思う
2005年 10月 16日
「XI[sai]」ってパズルゲームがあるんです。
盤面にサイコロがいっぱいあって、2なら2面、3なら3面あわせると消える、っていう、シンプルで奥が深いゲーム。
これ、中学校のとき(だった気がする)に買ってハマって、よくやっていたんだけど、ゲーム屋さんにいったらXI[sai]の新しいバージョンのXI[sai]中古でJUMBOが1000円で売っていたので買ってしまった。
これが前作より操作性がよくなっていて、消しやすくなった部分も多くて、気持ちよく消していける。
ハマって、先週の土日は寮の友達と一日中やっていた。ほんとに一日中。
1日で10倍くらいのスコアが出せるまでに上達した。
それはまあいいのだけど、このゲーム、おかしくなるのです。
寝る前に電気を消した後、目の前にサイコロが浮かんでくる。
サイコロをカタンカタンたおしてフィールド上で6をどんどんつなげていく。
トイレで目を閉じた瞬間、サイコロが目の前に浮かんでくる。
あ、こっちに倒せばいいんだ、とか常に考え続けるようになる。
一緒にやっていた友達もそんなこといっていて、なんだか怖いので一週間サイはやってません。
ロープレは夏前にロマサガミンストレルソングをやって、ドラクエⅧをやって、夏休みになってからFFⅩを再度プレイして今はFFⅦインターナショナルをしている。
おもしろい。
ゲームってすごい進化っぷりだよね。
FFⅦは発売と同時に買ってやったけど、当時は衝撃的だった。
全部3Dになって、ムービーみたいなのも多くって。
FFⅩは去年の夏にやって、映画に近づいている印象を受けた。
ⅩやったあとにⅦやるとムービーとかものすごくちゃちく感じる。
そうとうかわってきたのだなぁ。
これだけTVゲームが発展してきたのは俺らユーザーが大量に金を落としていくからだろうな。
ゲームを買うことがその会社や業界への投資になっているわけだ。
携帯も一気に普及してどんどん新しくなっているけど、それも俺らがお金をそこに使ってきたから。
資本主義てそういうものなんでしょうね。
母親が「お金を使うなら出来るだけ知り合いのところで使いなさい。その人が生活に使うお金になるって考えて」みたいなことを幼い頃にいっていたけど、こういう感覚ってずっと持っている。
CDを買うのもライブにいくのも、もちろんその音楽が好きってのもあるけど、投資って感覚は頭のどこかに常に持ち続けている。
お金を払ってCDを買ったりライブにいったりしなければ、そのミュージシャンが活動を続けていけないから新曲が聴けなくなるとか考える。
おいしいラーメン屋にもいく。そのラーメンが食べたいし、食べられなくなったらやだから。
お金の使い道ってのも考えてみるといいんじゃないでしょか。
俺よりマトモに考えてる人のほうが多そうですけど。
最初はゲームからずいぶん脱線して違うところにいったけどそんな感じです。

その場では「うるさいなぁ」なんて思うんだけど、親の言葉って決して無駄なことを言っているわけじゃないんだよね。
FFⅦ懐かしいね。丁度その頃に同じクラスになったんじゃなかったっけ?
続きの『FFⅦ ADVENT CHILDREN』も凄かったよ。人間の演技する映画なんてそのうちなくなっちゃうんじゃないか?と思ったくらい(笑)。