5月1日 演鑑演劇部プロデュース春雨公演『蟹』・・・東京学芸大学芸術館
2005年 05月 12日
レベルが高かった。
パンフに作者の言葉が書いてあったけど、シナリオ書いてるのは学生なのかな?
だとしたらかなりすごい。
笑いどころがやたら多かった。
ところどころ出て来る道具が、ちょっとわからないのもあった。
演劇を見る際に俺が気にするのは「説得力」。
テーマがあって「これがいいたい!」って一言があるなら、その発言が出てくるまでのストーリーがその言葉を観客に届けるための心的状況を作り出さなきゃいけないということです。
ドラマの最終回だけみたって感動する人は少ないだろう。それどころか、熱気に押されて常人ならとらない行動を取る人物が多くて、笑えたりする。あれは今までの十数回の放送で、登場人物たちのことが分かって、「こいつならここでこう行動してもおかしくない」と思わせるにいたっているから、初回から見ている視聴者は感動して泣く。
「これがいいたい!」って一言が無くたって、劇の終わりのほうで登場人物の発言がペラペラなままという状況は劇として失敗だろう。
演技自体が説得のようなものだし。パントマイムはあるはずのない壁をあるものとして演技してそれを観客はあるかのように見る。壁じゃなくて、登場人物の設定も同じだと思う。直接感情を表の台詞は無くても、劇中の演技でそれを表していれば、あるはずのない(登場人物は現実の人ではないから)感情をあるものとして、それを観客はあるかのように見るわけです。
しかし台詞が演技から乖離していると説得力に欠ける、と観客が思ってしまうだろう。
失礼ながら、学生の劇って、終わった後にどこか「?」が残る。
どこかの発言が気になったり、登場人物のとる行動がおかしく思えたり。
それを感じさせないようにしたらとりあえずひとつ上の段階に行く気がする。
これは蟹に対するダメ出しって訳じゃ無いんであしからず。
とてもよかったです。

はてさて、これは僕の個人的意見なんですが、昨今の演劇、特に小劇団と言われる人たちの作品は難解なのが多いです。正直感情的にもストーリー的にも見終わった後に「?」が残るものが多いです。現に、「どこどのの演劇は4,5回は見ないと、内容が理解できないよ」なんていわれているものもあるらしいです。そういえば、鴻上尚二さんは「正直、誰にでも理解できて、適度に泣けたり笑えたりして、非の打ち所の無い完璧な作品なんて、書こうと思えばいくらでも書けます。でも僕はあえてそんな作品は書きません。」みたいなことを言ってました。ホントかしらん。でも鴻上さんの作品は、基本的にはわかりやすいものが多いですが・・・
まぁなんにせよ、そんな発言がまかり通るくらい、演劇はいろいろ複雑でひっちめんどくさいみたいですよ。
あっ、そういえば星君の大好きなラーメンズの小林賢太郎は、「小林賢太郎プロデュース」と銘打って、作・演出・出演の演劇公演を何回かしていますよ。こちらも専門家筋には大変評判。才能のある人は何やってもうまくいくみたいです。
そりゃいろいろあるんでしょうが、個人的には、観客を突き放しているような難解さはあまり好かんです。
その難解さが高尚なイメージと結びつくのだったら糞食らえって感じもします。まあ好みの問題でしょうけど。
最近のラーメンズはもう演劇みたいなもんだし、小林賢太郎なら舞台やってもうまくいかないはずはないなと思います。