言葉じゃ表せないこと
2005年 02月 03日
「言葉じゃ表せないことがあって、それを表そうとするのが芸術」
そうそう、そうなんです。共感。
そのあと、ちょっと考えてみた。
言葉も、上で使ってる「芸術」に入る気がする。
言葉の限界に挑戦して極限にまで高められた言葉は芸術だ。
俳句だったり、詩だったり、小説だったり。
もしかすると、言葉で表せないものが芸術になるのではなくて、表したいことが先にあって、その手段として言葉や音楽やダンスや絵があるんじゃないだろうか。
俺らは普段から言葉で表現することになれすぎていてそれを基本に考えてしまうから、言葉で表せないものを他の方法で表そうとするんじゃないのか。
自分じゃ言葉で表せないと思っている事を、言葉で表してしまう人がいる。
それが何よりの理由。
何か伝えたいこととか表したいことがあって、それを普段使っている言葉で表すのは無理だと思ったとする。
それを、絵で表そうとして追求していったら絵描きさんになる。
それを、音や唄で表そうとして追求していったらミュージシャンになる。
それを、体で表そうとしたらダンサーになる。
それを、それでも言葉で表そうとしたら詩人になる。
もちろん、ここでいう絵描きさんやミュージシャンってのは、それを職業にしているかどうかは関係なくてね。
主な意思疎通に言葉じゃない方法がとられていたこともあったのだろう。
大昔の人はジェスチャーなどで意思疎通したかもしれないし。
そう考えると、どっかで何かがずれていたら、俺らの主なコミュニケーション方法が言葉じゃなくて音楽になっていたかもしれない。ダンスになっていたかも知れない。絵になっていたかもしれない。
主な意思疎通の手段が音楽だったら、みんなギターとかサックスとかフルートとか持ち歩いてたりして。
ギターだったらある程度意思疎通できそう。
あいさつはG7とかかな。元気?みたいな。
うん、元気!ならCメジャー。
ちょっと気分がすぐれなかったらマイナーコード。
バリバリ元気だったら速弾きなんかしちゃって。
何かに疑いを持ったらマイナーシックス。
転んで痛かったらセブンスフラットファイブ。
感傷に浸りたい時のサスフォー。
風に吹かれてメジャーセブン。
夕暮れ眺めてアドナインス。
きっと、音の高さが変わるとまた意味が違ってくるのよ。
暗く沈んだ「大丈夫だよ」と、明るい「大丈夫だよ」では、言葉が同じでも意味が違うように。
そう考えると、なっちゃんの日記に書いてあった、「赤ちゃんが泣く時はだいたいラの音」っていうのは面白いな。
赤ちゃんは生まれてすぐ、大体みんな同じ感情を持っているわけだ。
ラの音は優しい音なんだろう。
そしてきっと、そんな世界に住む人は、表現したいことが音楽で表現できない事に苦悩して絵をかいたり、踊りを踊ったり言葉を使ってみたりするんだろう。

言葉を追求していくことを私もしてみよう。と思った!
まだ考えがまとまらないけどじっくりお話したいね!
そしてCDが欲しい。切実に欲しい。