読書をしていたら日がすぎていて、なんだかあまり、年をとるということの実感がないままに誕生日を迎えてしまった気がしています。
「誕生日に何がほしい?」と聞かれたら、「自分に対する自信」と答えます。
未来は、まだまだあらゆる可能性に開かれている。
そう強く思います。
すぐに変えられない大きなことでも、50年くらいの時間をかけて、じっくり取り組むこともできます。
ですが、未来があるということは、ここまでの実績や経験がないということです。
何に依拠して自分の意見を組み立てていくかの底が、立場上付き合っている人たちと比較できないくらい浅い。
確固たる自己を持っている方々とのやり合いの中や、自分がよく知らない「作られた空気」の中では、
雰囲気に流されて「こっちが間違ってるんじゃないか」と思うこともしばしばで、
まあ、時には実際に本当に間違っていることもあるので、自信をなくし不安になることも多々。
あとから、「やっぱりあれは自分が正しかった」と思っても、議論の中で出せなければ後の祭り。
そんな中で、僕が持てる武器は、
対話と想像力、そして感受性。
経験がないのだから、経験がある人の話を聞いて、思いを受け止め、想像する。感じる。それしかない。
28になる直前に一曲の曲と出会いました。
震災後、原発事故後に生まれたラブソング。
アナログフィッシュの「抱きしめて」。
ついでにもう一曲。Rhymesterの「Hands」。
こういう直接的な曲ってあんまり好きじゃなかったんだけれどそういうことばっかり考えているからすごく響いた。母子関係、虐待を歌った歌。
新しい曲に出会って感動するということがあまりなくなっているような気がしていて、
感受性が鈍ってきているのかな?、と考えていたのですが、
忙しさに飲まれる日々の中でも感動しているものはたくさんあることを再確認。
歌、書籍、絵本、風景、建物、街並み、人。
そう、人。
やはり多くの人に会うのですが、その分、ひとりひとりとしっかり向き合えていないような気がしてしまっています。
もっとじっくり向き合いたい、話し合いたいのに。
あとは勉強だな。
深く知らないで物事を判断することが、本当に怖い。
でも全部のことがらを、完璧に納得がいくまで調べつくすことはできません。
どこかで、「これなら大丈夫そうか」と、検討をつけることになる。
でもこのまま馴れてはいけない。
もっと鋭く自分を磨いていきたいと思います。
懐の深さもほしいけれどもそいつはまだ先でいいのかな、と思う28歳です。
28歳の一年も頑張りますので、発破かけてください。
あなたが僕を変えることもできるんですから。
妹にもらったプレゼント。
