1855人の方が僕を選んでくださいました。
予想以上の結果に驚きました。
きちんとした組織もなく、お金もない中で、
多くの方からのご支援やカンパをいただき、ここまでやってきました。
活動にかかったお金については、あらためて詳らかにしていきたいと思います。
僕は、選挙期間中に候補者の名前を連呼するだけの選挙カーが嫌いでした。
「うるさいだけで、考えが全然わからなくて、あれじゃ誰に入れるかなんて決められないよ」と思ってました。
今もその思いは変わっていません。
その後、選挙カーが公費、つまり税金から出ていることを知り、
「あんな意味のないものに税金を使っているのか!」と憤りを覚えました。
今回、その選挙カーを使わないでも当選できることが証明できました。
ただ名前を連呼していたのではなく、徒歩と自転車で地域をあるき演説を行い、
自分の考えをしっかり伝えようとしたからこそ、
多くの方に支持いただけたのだと思っています。
選挙のありかたも、変わっていかなくてはいけないのでしょう。
旧態依然としたやり方にしばられず、無駄なところは仕組みややり方をを変えたらいい。
そして、お金は今困っている人たちのところにまわしたらいい。
選挙活動の1週間を通じて、350回を越える街頭演説を行いました。
拡声器を肩から下げて、住宅地や店舗の近くで数多くの街頭演説をしたので、
大きい音でご迷惑をかけた方もいると思います。
でも、名前を連呼するだけでなく、短い時間ですが、自分の考えや、こうしていきたいという思いを語りました。
それが自分の中でのせめてもの礼儀です。
夜、住宅地の街灯の下、薄暗い中で街頭演説をしていたりすると、
「本当に誰かに届いているのか?」ととても不安になりました。
僕は、他の候補に比べて、知識がありません。経験もありません。
なので、自信もありません。
弱気になりそうなときには、増山均先生の講演で聞いた、ポーランドのヤヌシュ・コルチャックさんの言葉を思い出していました。
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子どもも大人も3つのことを使って生きている。
感性と、知性と、経験。
経験というのは、長く生きてきた大人の方が上である。
だが、知性と感性でいうと、大人の方が上であるとは言えないのではないか。
知性と経験が結びつくと知識になる。だが、その根っこにある知性は、子どもも持っている。
あなたは子どもと関わると、「子どもには疲れる」という。
そのとおりだ。しかしその疲れを次のように説明するとき、あなたは間違っている。
「だって彼らの考えまで降りていかなければならないから。
身をかがめて、腰をかがめて、体を縮めて彼らのところまで降りていかなければいけないから。
発達途上で経験の少ない、知識の少ない子どものところに降りていかなければならないから」
いや、私たちが疲れるのは、そのためではない。
そうではなくて、彼らの感性の高みにまで高まらなくてはならないから疲れるのだ。
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きっと、今の僕だから出来ることがある。
僕のような、知識や経験のない無鉄砲な若者を、議会や市政がどう受け入れていくのか。
社会が子どもたちや若者をどう尊重し、受け入れ、その力を使っていくのかを考える試金石にならないでしょうか。
もちろん、僕は僕なりに、全力で取り組みます。
間違ったり、失敗もすると思いますが、暖かく厳しい目で見ていてください。
そして、あなたの声を伝えてください。
メール、ブログ、ツイッター、フェイスブック、対話をするためのネット上のツールは沢山あります。
もちろん、町や道端で声をかけてくださっても構いません。
さっそく明日の午前中には全員協議会があります。
そして明日の午後と25日、28日には初当選議員研修会があります。
ドキドキです。
でも、僕の背中を1855人が押して、「いってこい!」と言ってくれた。
僕の意見を聴いてくれ、僕に賛同してくれ、僕に意見をくれる仲間がいる。
それは強い自信になりました。
それでは、いってきます!
そして、これからを頑張って下さい。
貴方が頑張る限り 応援致します!
「育鵬社の歴史教科書、大田原市教委が採択」という記事を見ましたが、こどもを大切にするというあなたの立場からは、「自虐」史観を批判する教科書をこどもに使用させることについては、どう思われますか。
コメントありがとうございます。
名前を連呼する無所属議員と違うのは、選挙カーを出さなかったという戦術や伝え方で、中身はそんなに変わりませんよ。
教科書問題について私の姿勢をお伝えします。
まず、僕はまだ、育鵬社の歴史教科書を読んでいませんので、中身については触れられません。
不勉強で申し訳ありません。
あの教科書がよい、そうでない方がよい、とのご意見ありましたら、いただきたく思います。
続く
ですが、私も教科書問題については興味があり、
以前に扶桑社の実際に教科書は読んでみました。
扶桑社の教科書に対する現時点での考えを申しますと、
「あの教科書ではないほうがいい」という消極的な反対です。
表現として気になる部分は多々ありました。
必要以上に自分たちの文化を高く位置づけ、それを持って愛国心を育てよう、というような感じを受けました。
(僕は愛国心を持つことはいいことだと思いますが、歴史教育によって愛国心を植え付けるというかたちは好きではないです。もっと子どもたちが自分を肯定できるような社会にすることから始めたい。)
続く
さらに、採択にかかわった教育委員会の情報開示を求め、教科書が採択された議事録を見てみました。
個別具体的な史実について話し出すと、まだ勉強不足で、どちらが正しいとまでは私は判断できませんでした。
自分の歴史観が固まっているわけでもありません。
ここは僕の課題です。
また、教科書がどんなものであっても、自分の考えをしっかり持った教員であれば、自分の考えに沿うような形で教えることができます。
教科書はあくまでツールです。
教員の考え方の方が強く子どもたちには伝わります。
しかし、ひとつの知識は他の知識を得れば相対化されますし、
今は学校で習うこと以外にも本、テレビ、ネット等の様々な情報ソースがあります。
学校で習ったことがすべてではないし、正しいとも限らない、ということに気づけるチャンスもたくさんあります。
今後は、情報リテラシーを身に付け、対話をしていく姿勢が重要だと思っています。
続く
長くなり申し訳ありません。
僕もまだまだ勉強不足です。
ご意見をひとつ聞いて気付くことがたくさんあります。
教科書問題に、どう取り組むべきでしょうか?
教科書が、子どもたちにどういう影響を与えるでしょうか?
是非、あなたのご意見を聞かせてください。
高田さんのメルマガで初めて知って,歓声をあげました。
友人として,本当にうれしい。選挙カーのこと,言われてみればそのとおりだね。
バイタリティーも,考え方も,大学時代からさらにレベルアップしていて感心します。
大変な仕事だろうから,体を大事にしてがんばってね。