さて、ずいぶん間も空いてしまったのだが、「なんで学童保育の指導員をしているのか」シリーズ再開ということで、放課後についての話をしていきたい。
前提として、僕は今の子どもたちの放課後のあり方に、多くの問題を感じている。
今の子どもたちの放課後について考える時は、自分が過ごしてきた放課後と比較すると考えやすいので、自分の話をしてみる。
小学校1、2年生はおもに足利で、
3,4年生は主に宇都宮で、
5年生以降は大田原で暮らしてきた。
それぞれ、どんなことをして過ごしてきたかを書きたいと思う。
小1、2の足利の相生小学校時代
・自転車あるいは徒歩で地域をうろうろ
・塀の上を渡って探検
・100円もらって駄菓子屋へ行く
・学校に行き、いる人と遊ぶ(上の学年と一緒に遊ぶことも多かった)
・友人宅へ遊びに行き、漫画を読んだりゲームをしたりする(ファミコン)
・ドブでザリガニ釣り
・基地作り(公園の木の上)
小3、4の宇都宮の桜小学校時代
・自転車で地域内をうろうろ
・100円もらって駄菓子屋へ行く
・宇都宮女子高(の近所に住んでいた)にいき、1on1か2on2で延々サッカー。
・学校へ行き、いる人と遊ぶ
・友人宅へ遊びに行き、漫画を読んだりゲームをしたりする(スーファミ)
・駄菓子屋に行く
小5、6の紫塚小学校時代
・自転車で地域内をうろうろ
・自転車で遠くまで行く
・100円もらって駄菓子屋へ行く
・友人宅へ遊びに行き、漫画を読んだりゲームをしたりする(スーファミ→プレステ、ゲームボーイ)
・大田原高校やたんぼでサッカー、フリスビー、ドッジボール
・ミニ四駆、ヨーヨー
大田原中学校時代
・友人宅で漫画を読んだりゲームをしたりする(ゲームボーイ、プレステ、ニンテンドー64)
・ギターを弾く
・カードゲーム(マジックザギャザリング、ポケモンカード)
パーっと思いつく限りあげてみた。
これは、1984年生まれの僕が成長してきた90年代の放課後の過ごし方だ。
僕はひとりでいたわけではないので、それなりに多くの同世代が似たような放課後を過ごしてきたのだろうと思う。
僕が成長していく過程にも、それ以前からもそれ以降も、変化は続いている。
書きながらまとめているのだけれど、大きく以下の4つの変化があった様に僕は思っている。
①遊びの商業化
②遊び集団の喪失・遊び文化の衰退
③子どもたちの安全に対する意識の変化
④子どもたちの居場所の喪失
こういったことがパラレルに、時に絡み合いながら起こってきて、今の子どもたちの環境が作られてきた。
続きはなんで学童保育の指導員をしているのか?その37

小学・中学と、自分も似たような過ごし方でした。
学校や公園、駄菓子屋に行くと誰かには会えるし、遊べる。
放課後は楽しい時間でした。
ありがとうございます!じっくり書いていきます!
>学校や公園、駄菓子屋に行くと誰かには会えるし、遊べる。
>放課後は楽しい時間でした。
そうでしたよね!
これから書いていきますが、そういったことが重要だったと思うのです。
続きもよろしくお願いします!