いつか書きたいと思っていたので、この機会にプレーパークについて書こうと思う。
プレーパークって何?
プレーパークとは…と僕が語るより、実際に世田谷プレーパークに行ってきたときの写真があります。
まず見てみてください。














何を感じましたか?楽しそう?危ない?いってみたい?
あえて最後に取っておいたんですが、プレーパークにはこのような大きい看板があります。

もう、これ以上語ることはない気もします。
僕もいつかプレーパークを大田原につくりたいと思っている。
東京は、自然が少なかったり、意図的に作り出さないと子どもたちに望ましい環境が与えられない、と思い意図的に作り出してきた公園やプレーパークがある。
都会と違って田舎は危機感がないかもしれないけれど、子どもたちがどれだけ自然の中で、自由な環境で遊べているかといえば、もう数十年前の都会以上に危機的な環境なのかもしれない、と思う事もある。
さて、プレーパークにいる「大人」が、プレーリーダー。
「冒険遊び場がやってきた!」には、プレーリーダーの役割について、このように書いてあった。以下引用。
その役割は四つにまとめられると思う。
大人の価値観から子どもの遊びをまもる「防波堤」としての役割、子どもの「代弁者」として大人社会に発言していくという役割、不測の事態がおきたときの「相談相手」、そして、子どもたちにタイミングよくアドバイスのできる「しゃべる立看板」、以上の四つだ。
このあとには、「しかし、プレーリーダーの役割はその四つに限られるわけではない」。と続いて、遊びの物質的な環境を整えることが入ってくるのだが、
これらは学童の指導員も同じ役割を担っていると思った。
下の二つは、意識してやっている指導員さんも多い。
僕は、上の二つにもしっかり力を入れていきたい。
・大人の価値観から子どもの遊びを守る「防波堤」
・子どもの「代弁者」として大人社会に発言していく
これは、子どもの遊びについて日々考えていないとできないことだと思っている。
子どものそばいにいないとできないことだと思っている。
僕は大人がもっとこういった視点を持てると世の中が明るくなると思っているのです。
子どもたちにより楽しい日々、幸せな日々がやってくるように、頑張ります。
ただ、プレーパークの定義があいまいで、これでもプレーパークなのかな?というイベント化されたものもあるのが現状ですね。
私の関わるプレーパークでは地域そのものが、子供の遊びに対して寛容で厳しい目を持って見守ってくれるようになってほしいと願って活動をしています。そのために地域のネットワークを作っていくきっかけとなる活動がプレーパークです。城西地区に限定した、地域に根ざした活動をしています。
そうなってくるとプレーリーダーは必要なのか・・・?という議論が出てきています。
まあ、子供の遊ぶ権利が侵害されていると仮定した状況の中、権利を主張することのできない子どもに代わって、権利を守る・代弁するのがプレーリーダーなのかなと考えています。
そうそう、なぜだかプレーパークと学童保育は水と油みたいなところがありますよ。
プレーパークはどんどん増えているようですね。各地での取り組みの話など耳にします。
常設のものと、週一、あるいは月一などのものもあるようですね。
僕も勉強不足で、常設以外のプレーパークがどんなかたちでやられているものなのかは知りません。
「私の関わるプレーパークでは地域そのものが、子供の遊びに対して寛容で厳しい目を持って見守ってくれるようになってほしいと願って活動をしています。」
とても素敵な活動ですね!僕もそういった願いがあります。
プレーリーダーは必ずしも必要とはいえないのかもしれません。
ただし、プレーリーダーと似た役割を持つ人が必要だと思います。
「まあ、子供の遊ぶ権利が侵害されていると仮定した状況の中、権利を主張することのできない子どもに代わって、権利を守る・代弁するのがプレーリーダーなのかなと考えています。」
同感です。
1、遊びにの大切さを大人が共有し保障するようになり、
2、子ども集団が復活し、いろんな遊び・技能・技術が子どもたちの間で伝達していくようになれば、
プレーリーダーはいらないかもしれませんね。
僕は羽根木のリーダーハウスから飛び降りましたよw
あれ、怖いですよね…でも気持ちいい。そして嬉しくなる。
子どもたちはプレーパークでそういったスリルや達成感を味わっているんでしょうね。

いやー実はこれは一緒に行ったときとは違うんだ。
あの時はカメラ持っていかなかった気が。
一緒に行ったのは羽根木だよね。
コレは世田谷。
プレーパークと似たような学童だとしたら、とてもうらやましいなー!
俺も自分で学童作るってなったらプレーパークみたいな学童を目指す!!