本町の次は紫塚です。小学校5年~高校3年生までと、東京から帰ってきて1年暮らした実家があるのがここ。
本町④に出てきた那須塩原市の標識がある通りの向かい側。
ここが境界の印ですかね。埋まってますけれど。

ぽっぽ通りにも境目が。
HIKARI NO CAFE近く。以前のブックオフがあったとこの近く。




こっちが大田原。
ぽっぽ通りというのは、西那須野から大田原まで走っている、散歩道。
昔汽車が走っていた線路跡なのだという。
小さい頃、よく祖父の散歩に付き合って、西那須野駅まで歩いた。
紫塚小学校ではマラソン大会のコースとなり、大田原高校では寒稽古のランニングコースとなる。
住宅の背と背の間を走っているような箇所もあり、夕方には人通りも少ないので、
僕も通っていた大田原高校の生徒(大高生)から金品を巻き上げる「大高狩り」なる恐喝がしばしば発生し、
夕暮れ時は通るな、という話をされたこともある。
そんな思い出深い通りです。
ウィキペディアの東野鉄道のページによると、
線路跡地のうち、西那須野駅 - 大田原駅付近手前までの全長4.2kmの区画は自転車歩行者専用道路として整備され、「ぽっぽ通り」という名称がつけられている[1]。ぽっぽ通りにはホームや蒸気機関車などをモチーフとしたモニュメントや案内板が点在し、往時にはここが鉄道路線であったことを伝えている。その他の区画にも、橋台の一部が残っている鉄橋の跡地や、使われなくなったトンネルといった遺構を確認することができる場所も点在する。
だそうな。
というか、ぽっぽ通りの1968年まで走っていたのか!
僕は祖父からよく話を聞いていたので、祖父の時代のもの、という印象があって、
戦前に廃線になったと思っていた。
68年じゃ、母親も乗ってる?
と思って、母に電話をかけてみた。
「気動車(こう呼んでいたらしい)にのって眼科に通ってたよ。紫小の築山のうえから気動車が通って行くのが見えた」
なんと!
僕の中の「ぽっぽ通り」観がかわりました。面白いなぁ。


友情の広場。うーん、ここでなかなか友情は生まれそうにないけれど。


ハローワーク。

今している塾の仕事はここで紹介してもらいました。
芝桜とパンジー。きれい。




向こうの看板は大田原市が立てたものらしい。
ちょっと面白い。
どん詰まり。

続きは企画「大田原をもっと知ろう!」・・・その2、紫塚②。