「僕は、今の若い人の多くは、自分の境遇をほとんど「自己責任」で処理していて、自分に降りかかっていることを政治がどうこうしてくれるとも、政治のせいで自分が今の境遇に置かれているとも思っていないと考えています。だから投票しないんでしょう。」
「もちろんある意味で人生は全部自己責任とも言えるけれども、若い人はとりあえずもっと人のせいにして、投票にいきましょう。大きい枠組みの中で自分の生活も規定されているんです。その枠組みは、自分たちで決めないと。あとから、誰かが決めた枠組みを嘆くことになるのは、俺は嫌だ。」
と書いた。
これを書いた時は統一地方選のことを考えていたのだけれど、
書いたあと、このことと原発のことを一緒に考えた。
誰かが決めた枠組みを嘆いているのが今なのかもしれない、と。
池澤夏樹さんが4月5日の朝日新聞に書いた記事を、今日読んだ。
彼の考え方は、原発に対する色々な文章を読んだが、今のところ自分のスタンスととても近い。
http://bit.ly/hLDgEo
彼は「今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってきた。」と語る。
僕らより上の世代の人たちには、僕たちの世代よりも重く「自分たちが選んできた結果」としてこの問題を捉えてほしい。
上の世代にも、原発に反対して声を上げ続けてきた人がいることは知っている。
だけれど、多くの人が望んできた様に社会は変わってきたのだろうし、その結果としてこの原発の災害がある。
原発のことを、「自分が選択した」と思っている若い人は少ないと思う。
僕が生まれたときには、すでに多くの原発があった。
6年前に二十歳になり投票権を得たときから今まで、選挙の時に原発をどうこうするといった選択肢を与えられてきた記憶はない。
でも確かに僕にも責任はあった。
僕は原発の存在や危険を知っていて、それに何も言ってこなかった。
電気を自由に使って、そのありがたみをろくに感じても来なかった。
暗黙のうちに、当然あるものとして受け入れていた。
過去のことはどうにもならない。
だけれど、これから先のことは、自分たちで選んでいかなきゃな。
そして、選んだことの責任も、自分たちで背負っていかなきゃ。
この地震で変わらなきゃいけないんだ。
おそらく、放射能の影響は「わからない」。測定の結果がもっとオープンになればもう少しましなことは言えるのかもしれないけれど、結局「わからない」ままだと思う。
これまでに同じ形の災害はないし、データが少ないし、不確定要素が多すぎる。
人体実験の最中にあると言ってもいいと思う。
どこかの偉い誰かに自分の生活を預け、「安全ですよ」とお墨付きをもらって安心する時代は終わってしまった。いや、実は、終わってしまっていた。
洪水のような情報の中から、「これだ」と思える情報を選び分ける力を身につけなくちゃ。
自分たちの未来を、自分たちの責任で選んでいかなくちゃ。
ちなみに日が変わって今日は、岐阜県の大垣市の市議会選挙がある。
ツイッターで知り合った、佐藤まき氏(ツイッターアカウント@19hz)が、大垣市の市議会議員に立候補している。
http://19hz.org/
彼とは、学童や地方政治などについて、ツイッターでやりとりをしてきた。
大垣の状況や、地域における彼の動きはほとんどわからないけれども、
同じような片田舎の地方都市に住む若者として、彼の主張することにはとても共感できるし、信頼のおける人だと思う。
彼のような同世代が自分の地域のために頑張っていることが嬉しいし、希望を感じる。
僕は大垣市の選挙権はないけれども、彼が当選して、大垣の市議会の中で奮闘する姿を見てみたいと思っている一人です。
さて、明日の夜、どんな結果が出るんだろう。