当たり前だけれど、あの地震が日常を支配している。
地震だけだったらまた違うんだろうが、計画停電や原発の状況が僕らを非日常に引きとめる。
いつまで続くんだこの非日常。
次々に覆いかぶさってくる圧倒的な現実に対して、受動的にならざるを得ないというか、全然能動的に動けている気がしないので、ちょっと僕なりにいろんなことを整理したいと思ってパソコンに向かっています。
世界の遠くで起こっていることを無駄にどうにかしたいと思っていることが多いのだけれど、
隣の県で惨事が起きても、何も手が出せませんね。
最初、何か出来ることはないかと思って避難所にいってみたりしたんですが、まだ原発の問題が発覚する前で、避難所には数少ない市内の避難者がいただけで、ほとんどやれることはなく、なんか浮いた感じになってしまって、ちょっと自重。
その後もいろいろとネットやテレビ、新聞での情報を得て思ったことは、俺が今被災地に行っても何もやれんだろうな、という事です。
今すぐ被災地に必要な専門家ではないし、物資を持っていくにもそれらを集める金がない。
僕が被災地に出来ることは、無駄な動きをして道を防ぐことがないようにすることのようです。
でも、ここで出来ることはある。
自分の学童の子たちだって、ストレス抱えて不安になってる。
まずはそこで出来ることをやらねばね。
仕事ってそういう事だ。役割ってそういうことだ。
自衛隊だって消防隊だって、自分の仕事として守れる人を守ろうと努力してる。
俺も俺がやれることをやろう。
地震後、原発の状況もめまぐるしく動いて、
栃木県北も東北の被災者をいろんな避難所で受け入れている。
ここにいても、これから出来ることは増えて行くかもしれないな。
今は、自分達の生活と、被災地が、どうリンクしていくのかを考えているところです。
「食料はどう買うべきか」「燃料はどう使うべきか」そういった、普段なら考えないであろう行動の一つ一つを問い返している。
(いやいや、それは、非常にわかりやすい図式で表わせるからみんなが一斉に考えているだけで。
もともと自分の生活というのは遠くの誰かの生活と切り離せないくらい強く結び付いてしまっているんだ。)