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あたりで似たようなこと書いた。
様々な問題は自分から等距離にあって、どの問題にコミットメントして行ったらいいかがわからない。
世の中にある様々な問題に対して自分がアクションできない事の気まずさ、知っているのに行動していない罪悪感のようなものを感じて、それでバランスを失う。
センチメンタルすぎる?だったらまず行動してみろ?
わかってる。
それができないから悩んでいた訳です。
なんで行動できないのか?
なんで連帯して問題解決ができないのか?
中学や高校の生徒会活動なんかを通じて、自分や同世代の友達の中に、「連帯する」ということの難しさを感じていた。
全共闘世代の昔話を聞くと、高校や大学がどういう場所であるべきかをそこにいる人たちがそれなりに真剣に(ファッションだったということもあるだろうけれど)考えていたんだろう。
それは世界のあり方がどうあるべきか考えることとも繋がっていたんだろうと思う。
上の世代の失敗(?)と、僕らのそれなりに満ち足りた環境で、僕らの世代は牙を抜かれたのかなぁ・・・などと思っていた。
自分の中にも、安易な連帯に対する違和感はあった。
何かひとつの団体に関わると、そこで歌われている「当然こうあるべき形」みたいなものに対しては常に斜に構えてみていた。きっと必要以上に。
政治に対する無関心もそう。
自分たちの生活が政治の手によってよくなる、という期待をしたことはなかったし、
そもそも大学くらいまでは自分の中に政治に対する期待がないということを意識したことすらなかった。
おそらく多くの若い人は、自分の境遇を社会のせいにしておらず、
「自己責任」を強く内面化しながら生きているんだと思うんです。
高校受験や大学受験も、就職も、人生が大きく変わる選択は、自己責任だった。
・・・ちょっとバラッとしてきたし、かなり感覚的でいい加減なことを書いているという自覚はあるので、
アクションが起こせないことや、連帯できないことについては他にもいろいろ思うところがあった、とだけにしておいて、本当に話したい部分に話を戻したい。

