議論について

結論が出ない抽象的な事について議論することの意味ってなんだ?

相手をねじ伏せること?
だとしたら、変。最初から結論が出ないって判ってるんだし。

俺は、議論を通してほんの少しでも他人のことがわかるということと、自分のことがわかるということに意味があると考える。

長い事議論をしてると、人が中枢にどんな譲れない思想をもっていて、どんな考え方をしてその思想を他の事柄に適用していくのかが分かる。
それは自分のことも同様で、他人と議論していく上で普段認識していない「自分」が物事についてどんな思想や感情を持っているかが見えてくる。
自分の意見の矛盾点が見つかったら、それは大体自分の感情が先行している意見の上に立てた理屈だ。

俺らは時間に追われていて、人と抽象的なことについて議論をする時間ってホントに少ない。
それに、感情論のぶつけあいにもなりがちで、ある程度関係が確立されてないと議論が口論になってしまって、ただ人間関係を壊すだけだ。意味もなく議論をふっかけるにはリスクが大きい。
でも、もとから分かり合えないはずの他人と少しでも分かり合おうとするなら、その結論がどこに落ち着いても、議論ってする意味あると思うよ。
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by hoshimasato | 2004-12-19 08:15 | Comments(0)

元大田原市議会議員、ほしまさと(星雅人)のブログ。2023年春の栃木県議会議員選挙に出馬表明中。こどもの味方、学童保育支援員、パソコン要約筆記者。大田原を、那須野ヶ原を「誰一人取り残さない持続可能なまち」にするためのご意見募集中。→https://forms.gle/YNT9krbHtd1814LWA


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