「なんで学童の指導員をしているのか?⑰」
2010年 07月 09日
止まることを知らない。
ってか、止まったらその瞬間に自分が食われる。
意味とか考えないで走らなきゃいけない。
考えちゃうなら意味をねつ造して走らなきゃいけない。
隣の人が、どれだけ頑張っているかを見ても、その頑張りに共感してちゃいけない。
他人を思いやれ、人の気持ちを考えろ、って言われてきて、
そういった価値観を内面化した人間にとって、この競争は苦しすぎる。
そういう競争の上に、今の豊な生活はあって、
幸せが生まれるのは知ってる。
そのシステム自体を全部否定することは、僕にはできない。
でも、その競争の中で、いろんな弊害が生まれて、
どっかの誰かの生活を不幸にもしている。
それで、僕がたどり着いたのは「自分が意味のないと思える仕事をしてはいけない」ということです。
「意味のない仕事なんてない」し、「職に貴賤はない」と言いますが。
でも自分にとって価値のあるものを作り出している人を尊敬するし、
そうありたいと思ってしまうのは当然。
「何でも3年はやってみなきゃわからない」といわれても、
3年後にこの会社があるのかわからない時代。
(今ふと考えたんだけど、自分で自分の職を選べる時代に「職に貴賤はない」って言葉はどういう意味を帯びるんだろう)
そういうことばっかり考えていたら、厭世的な気持ちにもなってきまして、隠遁を志すようになるw
…というのはまあ冗談ですが、
手の届く部分、責任の持てる部分で自分(たち)の生活を完結させようとする、
コミューン思想みたいな考え方をするようになっていった。
どこまで自分の手でやれるのか?と考えていた。
(牛や豚は殺せないから、鳥、鳥ならいけるかな?とか、そんなことまで考えていた。)
で、細かいビジョンまでは描けないまま、理論武装だけして、
食が全部の基本!農業をやろう!と思って、栃木に帰ることにする。
やり方は戻っていろいろ見てから考えよう、と思って。
農業ブームみたいな感じだったしね。
以前に講演を聞いたことがあった自然農法の福岡正信さんの考え方がずっと頭にあって、
自然農法なんかをやっている人たちにあって、話を聞いた。
そういう人はもっと若いころから農業の問題を考え始めて、
いろんな場所で農業のことを学んで、今を築いていっている。
すごい!と思ったんだけれど、そこに飛び込めなかった。
というのも、自分が農業をやる、ってことに関しても、それなりに理論武装はしたんだけれども、
試しに自分ちの庭でやっても、何にも出来ないの。
本当に何も知らない。
そういう感覚的な挫折というか、「これ無理だわ」っていう感じがあった。
まあ、野菜作ってとって食べたりはできる。でもそれだけだった。
うえにも書いたように、閉じた方に向かう考え方だったんですよね。
でも自分はネットとかそれなりに使いこなしていろんな情報得てたり、
新しい出会いの中で、どんどん関係が広がっていく。
閉じる生活、というのが、全然現実的に感じられなくなっていくのです。
こんなことをしているのと同時期に、春休みの期間中、母校の学童で人を探しているのでやらないか、という話があり、
1日5時間、子どもたちと過ごすようになる。
続く