教員からサラリーマンというのは、聴いたことがなかった。
だから、「最終的に先生になる」という選択は捨てずにやれると思った。
おやすみ世界で書いたことと重複するけれど、大人は何でも知ってると思っていたんですよね。
いろいろ知っていて、そのことについて考えている大人たちが、世界を計画的に動かしていると思っていた。
だから世の中の諸問題は徐々に解決していくと思っていた。
小学校の時に中学生ってすごく大人に見える。
中学生の時は高校生がすごく大人に見える。
高校のときは大学生が・・・
と繰り返すうちに、自分がいつの間にか「大人」と呼ばれる立場にいることに気づく。
そこで、ハッとする。
子どもの頃、いろんな事を教え導いてくれた「大人」なんて、
こんなもんでしかなかった、ということに気づかされる。
そういえば、自分が中学生になった時だって、「中学生なんてこんなもんか」という思いがあった。
その延長で大人になっても「大人なんてこんなもんか」という風になるのを考えたことがなかった。
今まで自分たちに偉そうなことを言っていた大人も、
「こんな状態」で、これが大切だの、あれが大切だの、
ああしなさい、こうしなさい、と言っていたのだと気づく。
(まあ、両親からああしなさいこうしなさい言われた記憶はあまりないんだけれども)
もっと早く気づけよ、って突っ込みは正当な突っ込みだと思います。
それに気付かなかったのは、なぜだろう、反抗期が早かったからか、周りに尊敬できる先生や大人が多かったからか。
ともあれ、就職活動をする訳です。
新聞社を考えたのだけれど、大手新聞社って大体試験が同じ日で、その日が何か大切な用事(もう忘れた)とかぶっていて断念(まあ、受けたところで入れなかったろうな)。
他はこれといってめっちゃなりたいという職業もなかったので、リクナビやマイナビで探して、面白そうと思った説明会に行く。数十。
何だか面白そうだな、と思える場所が少なかった。
だから、試験受けて受かったのに面接辞退したり、した。
(ここはあまり本気になっていません。本当にテキトーな感じで受けています。)
その中で、面白そうなベンチャー企業に出会う。
続く
でも、何にも知らないで大人と呼ばれている人がたくさん居ますね。
大人はズルい。子供の頃そんな大人になりたくないと思ってましたが、いまやズルい大人の仲間入り。
何も知らないで大人と呼ばれるのは別にかまわないと思うんです。
でもなんか「私の知ってる事なんて一部でしかないよ」ということを感じさせる話し方をする大人って少ないんじゃないかなぁ。
子どもの(つまりは以前の俺の)勝手な誤解といえばそれまでなんだけれど、なんだか騙されたような気分になった、というのが正直なところ。
大人はズルいというか、まあ、誰もがそれなりにズルいんだけれど、
力を持った側のズルさって、本当にズルい感じがするよね。