すごいいろんな要素があるので、分けて書こうと思う。
まず、一応メインでやっていた(ことになっている)学問について。
教員免許を取らないと卒業できない学部だったため、
教育のことを学びながら(大学の友人からは「お前授業でてなかったじゃん」と言われそうだが)、
近代文学のゼミで文学を学ぶ。
教育大学といっても、教育の歴史や意義や位置づけや方法を学ぶだけではなくって、
専門分野によっては教育に直結しないことを研究している。
僕が行っていた東京学芸大学は教育学部の中にめっちゃいろんな学科があって、
僕はその中の「初等教育教員養成課程国語科」という、
簡単にいえば国語を専門とする小学校の教員を養成する学科にいた。
そこでは言語学、文学、国語教育の三つの専門分野に分かれていて、
僕は文学、特に近代文学を研究するゼミ・研究室にいた。
文学研究というのにもいろいろあるけれど、
僕が入っていたゼミは当時はテクスト論という方法で、作品を作家とある程度切り離して作品を論じるやり方をしていた。
(文学研究って何ぞや?という人へ…すごく大雑把に言うと「この作品にはこういうことが書かれている」ということを言うのが文学研究だと思って頂ければいいかと。でテクスト論というのは、書かれた作品は「作者の意図に関係なく、文章をそれ自体として独立したものとして読むことをいう)
一つの作品をみんなで読んで議論するだけで、書かれていることが全然違うように見えるようになるなど、
やっていることはすごく面白くて、のめりこんでいった。
大学2年くらいからかな、世の中で起こっていることに興味が湧きはじめた。
社会のいろんな問題が気になり始めた。理由はよくわからないけれど、
おそらくインドネシアに行ったことや、バイトを始めたことが大きかったのだと思う。
それまでは音楽や本の中に閉じていた。読む本もほとんどが小説だったのだが、
ルポルタージュや社会学の本を読むようになった。
で、自分がやっている文学研究の意味を見失った。
知的遊戯でしかないように感じるようになった。
当時(今も?)社会学がはやっていて、学芸大にもパラサイト・シングルって言葉を作った先生だとか、
若者文化を研究する先生がいて、授業を聴きに行った。
社会を理解する手段として、そして次に何かアクションを起こす懸け橋になるものとして、
社会学がすごくわかりやすいものに映った。
続く

それから、それから!



おお、久しぶり!
そりゃ知らんよねぇ・・・国語科ですよw
教育者は「広く浅く」が必要だとするならば、高く評価できる、と今なら思えます。
美術科の内実は知らんけど、なんだかいいたいこといっぱいありそうな書き方だねw