さて、眠るかって時に、目が冴えてしまってパソコンに向かってmixiやらブログやらを読んでいたんですが。
一時期とても関係が近くて今はちょっと疎遠になってしまっている友人が幸福とは何かみたいなことを書いていたりだとか、
小学校の先生を辞めて(その上結婚して)青年海外協力隊でブータンに行く先輩がイラク戦争について書いてたりだとか、
一度も会ったことないけれど親密に思っている友人が彼氏にフラれたということを書いていたりだとか、
大学の後輩が詩だか日記だかわからない文を書いていたりだとか、
大好きな友人が自分の赤ちゃんが3ヶ月になったことを書いていたりだとか、
実習のときに一緒だった友達が結婚していたことがわかったりだとか、
友人のライブレポの中にちょっとランタンの話が混じってたりだとか、
そんなことのひとつひとつがやけに鮮明にリアリティのようなものを伴って僕の中に入ってきて、ぐあーってなって、
なんだこれ!と思うのであります。
大体リアリティという言葉がここで適切ではないのだろうけど、
文字と俺の想像力を通して世界の生々しさに触れる気がするのです。
現代っ子特有の世界認識?
遠く、近くに感じています。
いやさ、みんながね、ホントにね、元気に笑顔で明日を迎えてほしいと思うんだ。
願うのは自由だ。
なんというか、俺は熱い衝動を持って日々生きているよ。
それなりにいろいろ動いて、それなりにいろいろ考えているよ。
社会と学校教育と学童のあり方について、
合意とコミュニケーションの難しさについて、
大切な人を幸せにすることについて、
子どもと親と仕事と生活について、
俺が傷つけてきただろう多くの人たちのことについて、
障害と宗教と生命倫理について、
田舎の都市化・地域の解体について、
若者と規範と労働観・結婚観について、
遊びや文化の継承について、
今日もどこかで歌っているミュージシャンたちについて、
食物と農業・林業と物流システムについて、
文学の可能性について、
外側と内側の線引きについて、
好景気待ちの世間について、
俺がいなくなっても携帯を売り続けている携帯ショップとガラパゴス携帯について、
想像力の限界について、
1度だけあったことがあるだけの人たちの人生について、
世の中の諸問題と活動とそれに向かえる人・向かえない人の心性について、
人間の弱さを組み込んだシステムの設計について。
など。
アウトプットする場が少なくてブログに書こうと思うんだけど、
文章化、文字化することで出てくる断定的な雰囲気や論理性に耐えられなくて、
書いては消し書いては消ししている日々です。
1つのことを言おうとすると、
それの前提になっている10個の事柄全てに言及しなくてはいけない気がしてしまって、
その10個についてそれぞれ10個の前提があることに気づいてしまう。
いろんなことを先読み先読みして逆にクリアにならずに動きにくい。
もうちょっとうまく回ればいいのになぁ、世の中のいろんなことが。
と毎日思っているなぁ。
唾を吐きかけたいようなクソみたいな世界。
愛おしくてどうしようもないような世界。
明日からは学童の全国研修で、滋賀県に行ってきます。
学童は天職だと思っています。
お金あまりもらえないけどね。
おやすみなさい。
久しぶりに君のブログを読めて、心がまた豊かになったよ。
秋は札幌に家族で行きます。冬か春、遊べたらうれしいね。
学童や、毎日の色々なこと、楽しんで、頑張ってくださいね。遠くからいつも応援しているよ。