ニュースから
2004年 11月 27日
側溝に死体を置いて、親の携帯に死体の写真を送ったりしたというのはもう周知の事実か。
いたたまれない。
そのニュースを見ていたとき、寮の先輩の一人が
「不謹慎かもしれないが、ストーリーとして面白いと思ってしまう」
というようなことをいっていた。
携帯で写真を添付して送ったとかいう部分のこと。
俺は全くそう思えないんだけど。
でも一体何が違うのだろう。小説と。
たとえば、小説の中でそういう事件が起きたなら、俺は楽しめる。
より残酷な、クラスメイトが一人になるまで殺し合いという話だって、楽しめる。
誘拐殺人のニュースを見て面白いと思えないのは現実に起きたことだから。
現実に起きたことかどうかが、俺の中でのラインになっている。
けれど、その先輩にとっては、現実に起きたことかどうかは関係ない。
テレビというメディアを通して見ることで、先輩にとっての枠からその事件がはみ出す。
物語だろうが現実だろうが、自分から距離があるということに変わりは無い。
メディアが現実を虚構化してるのかも。
9.11が起きた翌日、「どうせだったら自由の女神に突っ込んだ方が面白かったのに」と言っていた友人を思い出す。
不謹慎であるというラインは、どこにあるのか?(考える意味があるかどうかは置いといて)
「現実に起きたことかどうか」が俺の中で重要なラインだったんだけど、そうすると現実に起きた事件を基にして作られた映画や小説というものは、微妙なことになる。
まず、それを作るという時点で、不謹慎になりうる。そして、それを見て楽しむということも、よいことかどうかわからない。
映画や小説は事件が起きてからかなり後になって作られるのだろうから、そういう事件が2度と起きないように、という目的のため、あるいは歴史的な事件の記録(記憶?)のために、というのはわかるけど・・・。
ちなみに俺が一番不謹慎だと思うのは、ワイドショーとかの事件の再構成(「イメージ」とかテロップが出て事件をドラマの一部みたいにする悪趣味なやつ)。
遺族とかが見たら相当傷つくんだろうな、と思う。
あんまりやる意味があると思えない。
広がってまとまらなくなっちゃったけど、早く犯人捕まってほしいです。
犯人が捕まるとその後に起こる「動機の究明」みたいなのも、あまりやる意味を感じなかったりする。
まあ、この話はまた機会があったら。
機会があったら君とこういう話したいなと思ったよ。
自分は何でも面白いものの対象にしたいんですよ。
そうせんとなんか人生損した気分になるモンで・・・
まぁ根っからの貧乏性ですわ・・・
でもそんな貧乏性がこうじて、今度貧乏人の見本市「銭形金太郎」に出ることになりました。放送日は12月15日です。
あと、こんな不謹慎なネタが割りと好きという人はこちらのサイトがお勧め!http://katamari.under.jp
ではではまた遊びに来ます。
わたしは別になんも詳しくないが、春樹とか読んでてさ、昔はわからなかったけど、こういうことも言ってるんだろうなー、とか思うの。だから、しゃねるくんとかたりたいわけなのでしたー!
ストーリーとして面白いってのは頭ではわかりますしね・・・。
ただなんで現実におきたって聞くとそう思えなくなるんだろうかと。
みなさんゼニキン見ましょう。
高田さんのことがよく分かります。きっと。
ちなみに学芸の生協には高田さんたちが作った本が100円で売ってます。
気になる人は手に取ってみては・・・。
春樹のことは話したい!っていっても読んでないのも多いんですけどね。
なんか春樹の名前を聞いたら春樹がめっちゃ読みたくなってきた!
いやー世の中せまいね