6月も終わり、25歳になって、近況報告。
2009年 06月 30日
人生の4分の1位のつもりでいたけれど、
平均寿命を考えると、もうすでに3分の1位来ているんですねぇ。
まあ、いつまで生きるつもりかによって違うんですが。
最近は、午前中は教習所に行っています。
教官は、8割方が40以上の男性で、リアルにU字工事みたいな話し方をします。
そして、怖いです。
「だからちがぁんだって。なんでわかんねぇんだんべ」
「クラッチあげすぎっちゃあからそうなんだべ?」
はい、はい、と聞いています。
たまにグサリとくることを言われたりもしますが、
車を降りる頃には内容をもう忘れていて、
でも言われた時の車の中の雰囲気や表情みたいな部分は残っているので、
寝る前あたりにその感じが戻ってきたりします。
この間は「今まで規定できているけど、それほどはうまくはないから、どっかで躓くと思うねぇ」
と言われて、まるで僕の人生の話みたいだな、と思いました。
無線教習も終えて、もうちょっとしたら、修検です。
午後は母校の学童に行って、指導員として子どもたちと絡んでいます。
子どもたちと一緒にいると、この子たちが幸せに過ごせる世の中になったらいいのになぁ、と心から思います。
マクロの視点の方から僕の実感に基づいて僕なりに考えてみると、
都市化が進み、自治会や子ども会のつながり、近所付き合いといったものが減り、
変な事件が起こってそれがマスコミをあおって必要以上の危機感が生まれているので、
地域が安心して子育てができる場所ではなくなり、
そのしわ寄せの8割くらいが学校に、2割くらいが保護者に来ているような感じがします。
そして、ゆとり教育の反動の時数アップで、小学生の授業のコマ数は非常に多く、
3年生でも週3で6時間の日があります。僕らが6年生の頃くらいの時数でしょうか。
子どもたちは安全という網をかけられて、どこにも行けず、
ランドセルにつけられた防犯ブザーは部屋の中で毎日ビービー鳴っています。
不況の影響で首になり、職探しをしている保護者の人もいます。
忙しい、という事実と言い訳のもとにコミュニケーションから逃げる大人たちは、
いろいろなことに合意をしないまま、それぞれが理想に向かって、あるいは尻を押されて必死で走っているように見えます。
僕は僕で、やれることから、動いています。
これが、
僕は周りの人と一緒に、やれることから、動いています。
になると、すごく強いと思うのです。
コミュニケーションと合意は、絶対に外せないキーワードです。
合間を見て、畑をいじります。
庭にはトマト、ピーマン、なす、春菊、みずな、きゅうり、カボチャ、ほうれん草、枝豆などが植わっています。
全部自分で植えたわけではなく、近くに住んでいる祖母の兄弟や叔母が来て、
勝手に植えていってくれたりもします。
よくわからない植物も生えています。
それにしても、この時期の植物の成長といったら、恐ろしいです。
免許を取り終えたら、こっちの方ももうちょっと力を入れていきたいです。
本もたくさん読んでいます。
学童にある本を全部読もうと思っていて、今半分くらいまで来ました。
学童の本は5割くらいは絵本や児童書なのに、
子どもたちが手にする本の8割はマンガ、
2割がまちがいさがしなどのゲームブック、
1割は折り紙やあやとりの本という感じです。
面白そうな本を引っ張り出して面白さに気づかせてあげないと、もったいない。
それとは別に、村上春樹の著作、昔読んだ児童文学を再読しています。
文学理論を再度勉強しています。入門書を読んでも自分の不勉強を実感する日々です。
ベッドの上には15冊くらいの本のタワーが数本立っていて、
積んである本が、寝ているうちに体の上に落ちてきたりもします。
栃木は、本を読むのに適した場所です(笑)。すすむ、すすむ。
音楽の方はというと目立った動きはとれていませんが、
老人ホームでのライブ、というか演奏会が決まっています。
曲もちょっとずつ書いていますし、ギターも今までより練習しています。
いまさらですがソルフェージュをやったりしています。
ボロいドラムセットでドラムを叩いたりもしています。
音楽の聴き方が変わるので面白い。
来年の春までにCD作りたいなぁ。
そして、数週間に1度は東京に行き、
彼女と会ったり、ラジオをとったり、
ライブだの演劇だの映画だの美術館だのに行ったりしています。
お金の方もしっかりと回せているとは言えないし、
スローな速度ではありますが、
こういった生き方をしたい、という生き方に、
ちょっとずつ近づいていっている気がしています。
こんな時代だ、きゅうきゅうするだけ損。
笑って楽しく生きていきたいと思います。

ほしさんの考え方には、本当に色々考えさせられます。
子供達が幸せに暮らせれば良いのに、そんな環境をつくってあげられれば良いのに…と、私も思います。
コミュニケーションも、とても大切です。
誰を信用したら良いのかわからない今の世の中。もっと、たくさんの人が悪意なく、相手を理解しようとする世の中になってほしいと思います。
教習も頑張ってください。


こういう感覚に鈍くなっているな。
年を重ねたのがおめでとうではなく、何事もなく一年を送れたことをおめでとう、と言えるようにならねば。
もちろん、いろんな本の面白さに気づかせてやらないと、とは思うが、何で漫画のほうを読むのかというところに思いが及んでいないわ、最近。
自分がアホみたいに漫画読んでんのに。
最近、評論に得るものを感じます。
高校のとき、神話にはまらんと評論も読んどけば良かったと思う、最近。
もちろん、自分の体験にけちはつけんけども。
色々書いていることに反応したいけども、この辺で。
そのうち、お会いしましょう。

なんというか。
「何になりたいのか」っていう形式としての理想も必要だと思うんだけれど、きっと「自分がどう生きたいのか」っていう理想を持てることがその大前提として必要だなって最近思ったりしてます。
っていうのを何となくこの日記読んで思いました~。
遅ればせながらお誕生日おめでとうございます!

になってしまうのは、そっちの方が、つまり、刺激的なのでしょう。
文学だって読んでみれば十分に刺激的なのだけれど、漫画というのは、それがダイレクトに視覚からバンと来る。
文章を読んで脳内に映像を組み立てるという作業に慣れていないと、文学の面白さはわかりにくいのだと思います。
漫画には漫画のよさがありますし、私も大好きですが、それだけになってしまうのは勿体無いですね。
ハルキの本は図書館奇譚が大好きですが、子供向けに出された(?)「ふしぎな図書館」というリメイクは、私にとっては最低でした。
今は谷崎を読んでいます。たいへん面白いですが、子供向きではないかな(笑
ありがとうございます。
本当に「悪意なく、相手を理解」したいものですねぇ。
でも、自分も無自覚に悪意を向けてしまっているのかも・・・
悪意ととられていないか・・・
などと、日々自問自答です。
フィールドは違うかも知れないけれど、お互い頑張りましょ!
こういう感覚って?
何でマンガを読むのかって難しいけども、そりゃ面白いし楽だからだろうけど、
学童に来ている小学校低学年だと、吹き出しの字を読まないで、絵だけ追っている子が多いのさ。
目と、本をめくるスピードを見ているとわかる。
マンガを読んでいるというか、マンガすらまだちゃんと読めてないのよね。
たぶん、発達段階で読み聞かせとか、そういったことをいったん挟まないといけないんじゃないかなぁ、と思っている。
小学校高学年や中学生、高校生の読書離れにつながっていくのかも知れないけども、詳しくはよくわからん。
評論って幅広いけど、どんなの読んでるの?
ありがとうございます!!
「どう生きたいのか」って、言語化できなくても、きっと持っているとは思うんですけどね。
それを自覚して意図的に生きていないと、今の時代、迷路みたいな場所に追いやられていく気がするので大変だな、と思っています。
仕事大変なのかな。お互い頑張ろう!
そうですね。刺激的、というのはその通りだと思います。
本離れもそこがメインでしょうなぁ・・・。
まあ、低学年の子は、それ以前に文字をまだちゃんと読めていないんですけどねw
上のレスにも書きましたが、文字読まないで絵だけ見てるんですよ。
図書館奇譚、まだ読んでないっす。
ふしぎな図書館も合わせて近いうちに読んでみますわ。
谷崎、ずっと読んでないなぁ。
思い出したら急に読みたくなってきた。