ピースライブに出てきた。・・・Peace Live in Sano 4
2009年 06月 16日
佐野にある風の子保育園と児童館はらっぱが会場だった。
俺は小さい頃、足利にあるポッポ保育園というところに通っていて、
今回参加することになったのは、保育園の頃の友人が実行委員の人を紹介してくれたから。
風の子保育園は、その保育園とつながりのある保育園で(詳しくは知らない)、
小さい頃から名前は知っていたんだけれど、行ったのは初めてだった。
恵まれた環境!!
敷地内に小さい区画だけれど、水田と畑がある。
うさぎとヤギがいる。
大きい築山(?)がある。
プールがある。
半面のバスケットコートがある。
3階建ての木の基地がある。
その木の基地の3階部分からは、ロープにぶら下がってターザンのように「あ~ああ~!」をやれるような綱(あれは名前あるの?)が出ていて、
バスケットコートの上空を横切っている。
そういったもの一つ一つが、
ただ使用者たちの要望に応じてごちゃまぜになっているような公共の施設とは違い、
一本の考えに貫かれている気がして、シビれた。
保育園の施設自体も「予算があれば作れるもの」ではなく、
じっくり時間をかけてつくられていくものなんだなぁ、と感じた。
この保育園が作られる土壌のようなもの(保護者と保育士の関係だったり、園と行政との関係だったり、地域と園の関係立ったり、そういったもの積み重ねの歴史)、
そういう部分に目が行くようになって来たのは最近のことです。
ピースライブにも、そういったものを感じた。
ちびっこたちのはらっぱエイサー隊、
ピーストーク(?)&朗読、
いろんなミュージシャンの一曲入魂ライブ(俺はここに出させてもらった)、
新田太鼓保存会さんの太鼓(揺さぶられるかのような音)、
Binye kanさんのジェンベ(叩かれるかのような音)。
いろんなあり方の音楽やエンターテインメントが、
ごちゃまぜになっていても、一貫性がある気がする。
軸は「ピース」って言葉なんだろうけど(ピースライブをうたっていて、それに集っているんだから)、
その実は平和がどうこうよりも、「楽しんじゃおう!」って空気なんだろうな。
フェスとかも同じ雰囲気で盛り上がってるしね。
結果的に「ピース」ってことにつながっていくとしても、
一回どっか遠くに行く感じの印象があるんです。
それがあるのとないのとでは、何か違う気がする(ここらへんのことはうまく言葉にできなくてもどかしい)。
一緒に何かを楽しんだ時に、そこに生まれる一体感。自分や周りの人を全部ひっくるめて肯定したい気持ち。
当日まで知り合いはほとんどいなかったにもかかわらず、
ラストはみんなでイマジンを歌って(ベタベタですねw)
打ち上げまで出て三線や少年の太鼓とセッションしたり、
ブルーハーツの青空を歌ったり、
そんなことを、素直に楽しんできた。
ピースライブを作っていっている人たちの輪は、細いけど強い糸、そのようなものでつながれている気がしたのです。
よくよく考えてみると、俺は多くの人にその糸のようなもので勝手につながっているような感覚をもって日々を過ごしているな。
おそらく今このブログを読んでくれているあなたとも勝手につながっているような感覚を持っている。
思われている方からすれば、これは非常に気持ち悪いことかも・・・。
友人がこの間、
「違うからこそ○○だ、という考え方も、
人間は誰しも同じだ、という考え方は
私は どっちも大好きなんです」
ということを言っていた。すごいと思った。
俺はできてないなぁ、きっと。
人間はみんな違う、ということと、
人間はみんな同じ、ということ。
そのマクロとミクロを盲目的に自分の都合に応じて使い分けるんではなくて、
自然に行き来しながら受け入れたい。
と思ったのでした。
ちなみに俺は「ハト」を歌ったのだけど、
空気読めてない気もした。
そういう場所で歌える歌がほしいと思った。
昔から思っていて、作れないんです。
上でいったようなことを感覚的に受け入れられるようになった時に、作れるのかなぁ。
それとも、逆に歌を作れなくなるのかなぁ。
では、そろそろ眠ろうと思います。
遠く近くにいるみなさん、おやすみなさい。