フィルターを通して
2004年 11月 18日
他の人が良いと思わないものを良いと思う、
こういうことが多々あります。
人の中には何かを感じ取るフィルターみたいなものがあるのではないか。
例えばお笑いで、自分は笑えない部分で多くの人が笑っているとき、そのフィルターの存在を強く感じる。
俺にはないフィルターで何かをつかまえて笑っている、と。
音楽でも本でも言葉でも異性でも風景でもそう。
自分のフィルターに残るものしか人はみえない。
周りの人が良いと思うものを良いと思えなかったりすると、俺にはないフィルターで何かを感じているんだな、と考えて少し悲しくなる。
俺は俺で他の人が持っていないフィルターを持っていて、他の人が笑えないところで笑ってたり、泣けないところで泣いていたりする。
そういうことなんじゃないか。


なんにしろ、いろんなフィルターの存在を知って、それを認めたり受け入れることは心のやわらかさにつながる気がします。

メガネ作るとき何枚かのレンズを重ねて微調整するように、
ある物事に対するとき、自分にとってピントが合うように
瞬時に手持ちのレンズが重ねられるのだろうて。
できればいつでもどんなことにでもピントが合ったものを見たいから
出来るだけ多くのレンズを揃えようと
日々生きてます。