大田原市議会議員、ほしまさと(星雅人)のブログ。子どもの味方、学童保育指導員。「多様性」と「対話」を大切にし、ともに社会課題を解決する市政を目指し奮闘中。


by hoshimasato

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昨日は家の鍵を無くして何かと疲れたので、
もう連続更新途絶えているので、「何日目」はいりませんね。
でもできる限り毎日アップします。

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はじめはわからないなりにがむしゃらにやっているのですが、
いろんな事が徐々に見えてくる。

ここからちょっと業界の話に入ります。
なんで突っ込んだ話をするかというと、一つの業界を見ていく中で考えたことが大きいから。
(突っ込んだ話といっても業界にいる人にとっては説明不足だと思うかも。
 とりあえず、大枠をとらえるための話と思ってください)

覚えている方も多いと思うけれど、以前は0円、1円で買えた携帯電話が、2007年末くらいから急に高くなった。
今までほとんど無料で変えたものが、3~5万といわれて「何じゃそりゃ!」と思った人は多かったと思うのだけれど、
普通に考えたら、パソコン並みにいろんな機能が付いて、それをあんなに小さくまとめる様々な技術が集約されている携帯電話がただでもらえるわけがない。
他の部分でお客さんからお金を払ってもらっていたわけです。

どこで回収してるかというと、月々払う基本使用料です。
キャリア(docomo、au、softbankなど)が、基本使用料としてお客さんからお金のうち一部を「販売奨励金」としてケータイを売っている店に払って、その分を値引いた額で売られていた、ということだったのです。
0円で買えるので持つ時のハードルは低いけれど、月々のコストが高いというのが、日本の携帯の特徴だった。

他の国と比較して、同じ使い方をすると、2倍くらいの使用料がかかる。
その分、外国の携帯電話は買う際に数万円かかる。

さあ、ここで問題。
外国では30000円で携帯を買って、月々の使用料が2000円だとします。
日本では、0円で携帯を買うけれど、月々の使用料が4000円だとします。
(細かい計算をしてほしいわけではないけれど、わかりやすくなるかと思うので、具体的な数字を上げます。)
もちろん、使い方は同じとする。
さて、得する人は、どんな人だ?損するのはどんな人だ?

得する人は、携帯をころころ変える人。携帯自体の端末は安いし、月々の額は変わらないから。
損する人は、同じ携帯を長く使う人。だって、本体代の分を上乗せした使用料を延々と払っているのだから。
「やっぱりその料金の取り方はおかしい。今までは、携帯(通信インフラ)の普及のために、多めに見てきた。けどもう一人一台持てるようになったし、インフラ整備もされたしね」ということで、総務省さんが「それどこからどこまでが使用料で、どこまでが携帯代だかわかるようにしなさい」と言って、携帯の買い方のシステムが変わった。

続く
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by hoshimasato | 2010-05-31 22:39 | 思考・態度 | Comments(4)
モバイル事業、つまりは携帯電話の販売を中心に行っている会社だったのですが、
人事部長と社長の話は面白かったし、熱っぽさが伝わってきた。
ここもすっとばしていきますと、まあその会社に入ることになるわけです。

そこには、なんだか、今まであったことのなかったような人たちがいっぱいいた。
読んだことのない種類の本を読んで、話したことのないことを話していた。
(これは大学の違いが大きいのかもしれないけれど、国公立ってあまり就職どうこうがうるさくなかったり、学校の外も巻き込む大きいイベントサークルとか少ないじゃないですか。私立だといっぱいやってたりするんだよね。他所の話を聞くと、そういったつながりから、経済との接点みたいなのを作っていってる気がする。学芸はそういう意味では独特なポジションだと思う。とくに学芸大学は卒業後のフリーター率が高いと聞く。それはまあ教員になりたくて採用試験に受からない、って人間が多いからなんだけれど。
 あと個人的な環境として、ゼミは文学、サークルは音楽と演劇、っていう、芸術・表現系の「野望を持っている人」が集まりがちな場所だというのも大きかったかな。)

宿泊でベンチャーの合同研修とかにも行ったのですだけれど、大学とは違う意味で「野望を持っている人」がたくさんいた。
熱いやつが多い。暑苦しいやつも多いけれど。
ひねくれていない。おおっぴらに夢を語る。
おいおい、って思う話がなかったわけではないが、ひねくれた俺でも感化される話は多かった。

インターン中、入社直後はいろいろと自分の中でチューニングを行っていた気がする。
今まで自分がいた位置というのを相対化していっているような。
親戚は教員が多くて、あとは勤め人で、自営の人がほとんどいなかったので、経営者の立場を今まで詳しく考えたことがなかった。
父方の祖父は教員を止めて養魚場をやり始めた変わり種なのだけれど、身近にいた経営者なわけだが、そういう話はあまり聞いたことなかったし。
起業する、という人が、どういう理由でそこに至るか、っていう話をいっぱい聴けたのは良かった。

そして、入社から3ヵ月後、店長になる。
そんな新人が店長をやれんのか!?って話なのですが、
あまり人がいないということと、責任ある仕事を任せることで成長を早めるという会社の考え方による(これらは表裏一体だな)。
まあ、努力もしましたし。いっぱい勉強した。

大宮の雑居ビルの5階の店舗を任され、携帯を売る。
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by hoshimasato | 2010-05-29 23:41 | 思考・態度 | Comments(0)
国分寺のCATOOYAというおいしいハンバーガー屋さんでビールを飲みながら折った折り紙たち。
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動物を俺が折って、彼女が鶴と花(きくざら、ダリア)たちを折った。
ちなみにゴリラとキリンは笠原邦彦「ハッピーおりがみ」、
その他の動物は前川淳「本格折り紙」に載っている。
これは全部見ないで折れるやつ。
前川さんの本や笠原さんの本の「これかっこいい!」というやつを見ないでも折れるように、ちょっとずつ覚えていってます。

それとは別に、「一つ作るのに1時間以上かかる」というようなものも作っている。
今回は神谷哲史作品集より、3作品。
どれも正方形の折り紙一枚で折っています。
どれも「必要サイズ:25㎝×25㎝」と書かれていたものを、ちょうどのものがないので24㎝×24㎝で折った。

「カルタノサウルス」
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手のところにかなり細かい複雑な沈め折りがあって、そこはきちんと折れなかったけれど、まあ形にはなった。

「天馬」
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これは、首の角度が若干低めになってしまった。
そしたら、足が短くみえるし、何か疲れているように見えるしで、全然かっこよくないのです。
足怪我してびっこひいてる馬みたいに見えてしまう。
下に付箋の束を置いて、前足をのっけたらそれなりにかっこよく見えるようにはなった。
でも、足先の細かい部分も折り切れていないし、これはいつか折り直しだな。

「麒麟」
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これはうまくできた!
ほぼ完璧に折り図通りに折れました。
下に折り紙で台を作ってみた。
体の曲線もうまくつけられたので満足。

これらの作品は完成系もすごいのですが、折っている途中に「うわっ!こんなことするの!?」っていう展開の仕方とかしてて、感動です。
音楽でも演奏してみてそのフレーズのすごさが分かることとかがあるけれど、そんな感じ。
複雑な折り紙をスーパーコンプレックスというらしいですが、
ネット見ても定義とか書いてないのでよくわからない。
こっちの方にはまっていくのは、危険なにおいが・・・。
抜け出せなくなりそう。

また、ユニット折紙にも手を出し始めた。
ユニット折紙というのは、同じ形におった折紙(ユニット)を組み合わせて作る作品のこと。
布施智子「おりがみ 星と雪の模様」より、4作品。
「ダブルスター」
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「きら星・4枚組」
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「きら星・8枚組」
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これらの組み合わせで、こうなる。
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「きら星・5枚組」
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これらの組み合わせで、こうなる。
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こっちはこっちで、複雑なやつとは違った魅力がありますね。

また何か作ったらアップします。

さっき調べてみたら、近くの図書館に悪魔が載っていたという伝説(?)の折り紙の本「ビバ!おりがみ」があるらしい。
明日借りに行こうと思います。
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by hoshimasato | 2010-05-29 01:33 | 折り紙 | Comments(2)
それに、社会人を経験してから教員になった人には何人にもあったけれど、
教員からサラリーマンというのは、聴いたことがなかった。
だから、「最終的に先生になる」という選択は捨てずにやれると思った。

おやすみ世界で書いたことと重複するけれど、大人は何でも知ってると思っていたんですよね。
いろいろ知っていて、そのことについて考えている大人たちが、世界を計画的に動かしていると思っていた。
だから世の中の諸問題は徐々に解決していくと思っていた。

小学校の時に中学生ってすごく大人に見える。
中学生の時は高校生がすごく大人に見える。
高校のときは大学生が・・・
と繰り返すうちに、自分がいつの間にか「大人」と呼ばれる立場にいることに気づく。

そこで、ハッとする。
子どもの頃、いろんな事を教え導いてくれた「大人」なんて、
こんなもんでしかなかった、ということに気づかされる。
そういえば、自分が中学生になった時だって、「中学生なんてこんなもんか」という思いがあった。
その延長で大人になっても「大人なんてこんなもんか」という風になるのを考えたことがなかった。

今まで自分たちに偉そうなことを言っていた大人も、
「こんな状態」で、これが大切だの、あれが大切だの、
ああしなさい、こうしなさい、と言っていたのだと気づく。
(まあ、両親からああしなさいこうしなさい言われた記憶はあまりないんだけれども)
もっと早く気づけよ、って突っ込みは正当な突っ込みだと思います。
それに気付かなかったのは、なぜだろう、反抗期が早かったからか、周りに尊敬できる先生や大人が多かったからか。

ともあれ、就職活動をする訳です。
新聞社を考えたのだけれど、大手新聞社って大体試験が同じ日で、その日が何か大切な用事(もう忘れた)とかぶっていて断念(まあ、受けたところで入れなかったろうな)。
他はこれといってめっちゃなりたいという職業もなかったので、リクナビやマイナビで探して、面白そうと思った説明会に行く。数十。
何だか面白そうだな、と思える場所が少なかった。
だから、試験受けて受かったのに面接辞退したり、した。
(ここはあまり本気になっていません。本当にテキトーな感じで受けています。)

その中で、面白そうなベンチャー企業に出会う。

続く
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by hoshimasato | 2010-05-28 23:59 | 思考・態度 | Comments(2)
子ども達の前に、どうどうと立てるか。
自信がなかった。

これには二度の教育実習の体験も大きいと思います。
学芸大学では、三年時と四年時に一度ずつ、計二度の実習があるのです。

一回目の実習では、付属の小学校で、一年生のクラスについた。
「遊びの中に学びを見出す」というのが、そこで学んだすべてといっても過言ではない。
子どもは、遊びとして楽しんでやっている行為の中に、授業者が学びを見出す。
学校では指導要領があって教えなくてはならないことが決まっているので、好き勝手遊んでいればいいわけではない。
その指導要領を踏まえて楽しんでやれるプログラムをセッティングする、というようなことに全力で取り組んだ。

中学生や高校生の頃って、つまらない先生の授業を見て「俺の方が面白い授業ができる」とか考えることもあるけれど、
ただエンターテインするだけはダメなんですよね。
エンターテイナーと教育者は違うので。
エンターテイナーの前では、子ども達は受け取る側、になってしまう。
子ども達を楽しませるということを突き詰めていくと、「子ども一人ひとりの興味・関心に沿って、適切なプログラムを設定する」ということが最高の授業になってしまう。
でも、学校はそういう空間じゃないんです。集団でいる意味があるんです。
学びが伝播したり、共鳴するような効果がある。これは一人で学習するだけでは絶対に生まれない価値なんです。
それを最大限に引き出すべきなんです。
それは、一方的に受け取るだけでは生まれない。子どもが主体的になってこそ生まれるものなんです。
(すごいザックリした話ですみません。突っ込みどころ多いと思いますが、とりあえず先に進みます。)
ただ、「主体的とはどういうことか」というのは本当に難しい問題で、
この頃から今までの課題になっています。

二度目の実習は、五年生のクラスだったのだけれど、正直ボロボロでしたね。
だって一回目の実習で学んできたことがほとんど使えないんだもん。
五年生の授業の中で、遊びを中心に授業を組み立てるのはかなり厳しい。
指導案を作る数も全然違うから、それでも悪戦苦闘して遊びを軸に・・・と考えていた。
それに実習の途中に彼女にフラれるということもあって、
最後のあいさつのときなんて、
「大人は何でも知ってると思っているかもしれないけれど、対して何もしらない。
 いろんな場所で、『なんでこんなことがあり得るんだ』ってことがたくさん起きている。
 けど知ろうとしてる大人もいるし、どうにかしたいと必死で考えてる大人もいる。」
とかいってたなw

子ども達を相手にするということの重大さが実感としてのしかかってきた次期で、
子ども達に向けて発する言葉一つ一つが自分に返ってくるような感覚があった。
子ども達の前で胸を張っていられる自信を持っていなかったのです。
その根底に、「何も知らない」という感覚があった。

続く
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by hoshimasato | 2010-05-27 23:54 | 思考・態度 | Comments(6)
神谷哲史作品集を買ってしまった。
神谷哲史さんは折紙作家(でいいのか?)で、
こないだからツイッターですごいすごいとツイートしまくっていた人です。
http://www.youtube.com/watch?v=kXcnAhaZCJ8
http://www.youtube.com/watch?v=o3jgkQ0Qczc

この本は、市販されてなくて、アマゾンとかでは買えません。
おりがみハウスという会社が発行していて、
通販か、おりがみハウスのギャラリーにて買えます。
通販で買おうかと思っていたのだけれど、
月曜日、休みだったので、東京の白山にあるおりがみハウスのギャラリーに行ってきました。
ギャラリーなのだから、当然作品もあるのだろうなぁ、と思っていたのだけれど、
行って驚く。
神谷さんの「龍神」がある!!「ワスプ」がある!「エインシャントドラゴン」がある!
エリック・ジョワゼルさんの「幾何学の外へ」がある!

奥の事務所っぽいところには、神谷さんがいた。
普通に。それにも驚いた。
「サインもらえませんか?」と聞いたら、
「仕事中なので」と店員さんに断られてしまったけど。

で、その神谷哲史作品集の中から、
まずは必要サイズが15cm×15cmのやつを折ってみました。

「トビエイ」
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裏はこんな感じ。
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裏の作りも本格的。

「白鳥離水」
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飛び立つ様。一枚の裏表をつかって、水面と鳥を両方作るなんて・・・。
白鳥の部分が若干適当になってしまいました。
折り図通りにおるには細か過ぎるんだもの・・・。

「黄色い鳥」
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もろにチョコボですよねw
これめっちゃ難しかったよ。細かい沈め折り何回もあってさ・・・。
足の部分が若干適当ですw

神谷哲史作品集ですが・・・
難しい!!
折りたたんで折り線をつけて開いて畳む、が多かったり、
とにかく細かい部分が多かったり。
いやー刺激になります。
徐々に、折れるやつから(小さいやつから)折って、アップしていこうと思います。
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by hoshimasato | 2010-05-27 01:39 | 折り紙 | Comments(0)
仕事をするということは、普段の自分の生活の外を知ることになる。
どんな仕事にも、そこでやってみないと分からないことがある。

他人の生活や時間の過ごし方って、以外と知らないんですよね。
部屋や街でどんな時間を過ごしているか、どんなものが部屋にあるか。
何にお金を払い、何を楽しいと思うか。
店に行くと、「こんなもの誰が買うの?」って商品に出会うことがあるけれど、
店で働いていれば、それをレジに持ってきてお金を払う人がいる。
その人を目の前で見られる。

コンビニでものを陳列したり、レジ打ちしたりすれば、「こういうものを買いにくる人」の生活に思いを馳せるし、
フィットネスクラブ(俺からかなり遠い場所)のフロントではどういう人がどういうことを求めてそこに来るのかを考えることになる。
ライブハウスではどんな音楽がどんな人に届いているのか、どんな形で消費されているのかを感じられる。
そういったことを軸にしながら、どこでもビラ配りとかティッシュ配りをしたり広告を打ったり出演者探しをしたりと、マーケティングを行っている。

想像力って体験に裏打ちされて成長すると思っているのだけれど、いろいろな仕事場での体験によって、今まで使わないかった方向に想像力が伸びていった気がする。

そして、大学4年になって、教員採用試験を受けず、就職活動を行う。
教員になりたくないわけではないのだけれど、
このまま学校に入ったら、一生のほとんどを学校で過ごすことになってしまう。
先生になるのだったら、もうちょっと世間を知ってからではないと、ダメだと思った。
これは「世間を知らない先生が多い」というようなよく言われる“他人の問題”ではなく、自分の自信や理想の問題です。

続く
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by hoshimasato | 2010-05-26 23:59 | 思考・態度 | Comments(2)
しゃぶしゃぶ屋のバイトや、居酒屋のバイトなど、
食べ物を扱っている職場だと、当たり前だけれど廃棄や食べ残しが出る。
洗い物をしていると、鍋にたっぷり野菜や肉が入ったままのすき焼き鍋が下げられてくる。
売れなかったコンビニの廃棄は店長がこっそりくれたのを帰っても余って、ゴミ袋に入れられる。
飲み会が終わった後には、宴会場のテーブルの上一面にビールのはいったコップが並んでいる(バケツ2杯分にもなる)。
残されたエビフライが、刺身が載っていたツマだとか、
焦げ付いたジンギスカンと同じ皿に乗せられてくる。

そのエビフライを見て、
「悔しくないのか!エビよ!
インドネシアから旅をしてきて、その末路がこれか!?
今全力で跳ねろ!一世一代の時だ!」
とか思っていた。

なんだろうなぁ。食べモノが捨てられるってことって、
どっかで嫌な気持ちになるんです。
いや、「嫌」とまで言ってしまうと強すぎるくらい、ものすごーく弱い感情の動きしかないんだけれど。
一回一回のことに痛みは覚えないけれども、澱のように貯まっていく気がするのです。
こういうのは、現代を生き抜くために不必要な感受性なのかもしれない、なんて思っていた。
(ちょっと脱線。こういった言葉にすると強すぎるほどの弱い感情(感情というのも違う気がするが)や、それを引き起こす行為の積み重ねが人間に与える影響ってものすごく大きいと思っている。
で、飛躍するんだけれども、エルヴィス・コステロのAlisonという歌の歌詞に「I know this world is killing you」というフレーズがあって、そのフレーズを聞いた時にこの感情とすごく自然に結びついた。これもまたいつか詳しく話したい。)

もったいない、という感覚は昔からあった。
食べ物を残すのが嫌いだった。
なんでだろうか。
別に親に強く言われたとかがあったわけじゃないんだよね。
父親だか祖父だかに「この一粒を作るのにもお百姓さんが一年かかって作るんだ」というような話をされた時には、
「百姓が一万粒作ったら、一年間を一万で割った時間しかかからない計算なんじゃ」というへ理屈を考えていたのを覚えている(こういうのは嫌に合理的で近代的な発想だな。本題とは全然外れるけれども、そもそも一人のお百姓さんが一年に作る米の量(粒)はどれくらいなんだ?あと「百姓」って言葉は差別的な言葉なので今テレビで使わないんですって)。
まあ、兄弟が多かったから、取り合いになるのは日常茶飯事だったな。
今でも、多少無理してでも、出ているものは全部食べる。

続く
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by hoshimasato | 2010-05-25 23:52 | 思考・態度 | Comments(4)
今晩、きまぐれフットワークでユーストします。
九時半頃からを予定しています!
URLはこちら↓
http://www.ustream.tv/channel/kimagurefw
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by hoshimasato | 2010-05-24 20:04 | Comments(0)

ルール②

毎日アップは、自宅にいるときのみにします。
だって無理してひとんちから千文字アップとかできないし…。

という訳で、今日はアップおやすみです。
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by hoshimasato | 2010-05-24 17:57 | Comments(0)