大田原市議会議員、ほしまさと(星雅人)のブログ。子どもの味方、学童保育指導員。「多様性」と「対話」を大切にし、ともに社会課題を解決する市政を目指し奮闘中。


by hoshimasato
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カテゴリ:思考・態度( 57 )

7月24日、25日と、JTR(日本税制改革協議会)の『自治体財政研究会』という勉強会に行ってきました。

講義時間合計10時間半に及ぶ研修。
僕みたいに、何から学んでいいのかすらよくわかっていない人間には大変ありがたい、密度の濃い研修でした。
といっても、きっと僕は話してもらったことの半分も理解できていないのだろうから、
わかったふりはしないで、自分が聞いて考えたことを僕なりの言葉で書きたいと思います。

JTRは「子どもにツケをまわさない」、という文言(登録商標)を掲げています。
「子どもにツケをまわさない」とはどういうことなのか。

世の中には、「あったほうがいいもの」だらけなんです。
市民サービスもハコモノも、ただ使う側に立って見れば何でも「ないよりあったほうがいい」。
だからいろんな約束をすれば、選挙で選ばれやすくなります。
でも、そういったサービスを実際にやるには、お金がかかります。
そこで使うお金は誰のお金?それはあなたが、僕が払っている税金です。
さらに、入ってくるお金だけでは足りなくなるので、借金をして、増税をして、投票してくれた方々への約束を守ろうとする。

その借金は、誰が返すの?
誰が増税された税を負担するの?

それは、今は投票権を持たない子どもたちです。

自分がよければいいや、といって下の世代へツケをまわしていったら…
いつか破たんがくる。
その時被害を全部かぶるのは、その時の社会にいる人たちです。
このまま手を打たずに進んで行ったら、そう遠くない未来に、僕もあなたもその一員になる可能性大です。
そんな状態は何としても避けなければ。
そのためには、市民一人一人が自分たちに必要なものをしっかり考え、「それ本当に必要?」「こういったやりかたもあるんじゃない?」といったように、議論を深めて、自分たちが求めているものに優先順位を付け、「納得の上、部分的に諦めていく」ことが必要なのだと思います。
「あれもこれも」はもう無理な時代です。
 市民レベルでの深い議論が無ければ、「要求が通らなかった」人に納得は訪れず、不満が蔓延するだけの社会になっていってしまいます。
 だからこそ、対話を。そして、合意を。
 長い時間と根気が必要になると思いますが、そういったプロセスを経ることで、本当の意味で自治に近づけるのだろうと僕は思います。

僕は、「子どもにツケをまわさない!」というJTRの考え方に共感しましたので、納税者保護誓約書のサインナーになります。
研修すぐにでもサインしたかったのですが、是非立会人になってもらいたい友人がいるので、近いうちにサインをし、ブログで報告したいと思います。

ご意見等ありましたら、コメントなどでお聞かせくださいね。
それではまた。


講師の方々と講義タイトル
・吉田寛氏『子供にツケをまわさない! ~この人でいいのか?~』
・武見浩充氏『千葉商科大学大学院より』
・菅原敏夫氏『自治体財政分析の基礎』
・福嶋浩彦氏『市民自治を理念とした自治体経営』
・K.サム 田渕氏『日本の地域再生における米国型PPP応用の可能性』
・野口理佐子氏『地方財政に優しい環境政策 ~子供にツケをまわす環境政策と子供に財産を残す環境政策~』
・内山優氏『グラスルーツが社会変革に果たす役割 ~日本変革のうねり~』
・吉田寛氏『子供にツケをまわさない! ~役所のバランスシートを読む。首長のバランスシートを作る~』
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by hoshimasato | 2011-07-28 02:18 | 思考・態度

放射能と教育

放射能と教育について日々考える。

「放射能から子どもたちを守る」という言葉が使われている。
ガンや白血病、放射能の影響で起こるかもしれない病気から彼らを守りたい。
そうしたいという気持ちには強く共感する。

けれども、僕ら学童保育の指導員は子どもを外で遊ばせている。遊ばせてしまっている。
県の連絡協議会の役員会の話し合いでも、現在遊びを制限しているところはないようだった。
それは、僕らが遊びやそとで駆け回ることをとても大切な物だと思っているし、放射能の影響は多かれ少なかれ受けることは分かっていても、彼らに遊びを保障して上げなくてはいけないと思っているから。(もしかすると、多くの人は危機感がないだけなのかもしれませんが…)
ただ単純に放射能から子どもたちを守ることを至上命題にするなら、俺は部屋から出さない。
コンクリートの部屋に閉じ込める。

教育と放射能の話になると、否定的なメッセージが増える。
「こんなときにプールにはいるなんて」
「こんなときに運動会をやるなんて」
ここでは2つの論点がある。

①放射能で受ける影響をどうとらえているか。
②それと教育の効果を天秤にかけ、どちらを選ぶか。

まず、①がしっかりとはわからない。
過去のデータや調査が少なすぎるし、今回のような形で放射能がまき散らされている&垂れ流され続けているのは初めて。
だれも出てくる影響について確定的なことが言えない。
すると、それぞれの主観で放射能の危険度を捉え、②について話すが、多くの人が自明のこととして扱っている教育の効果についての認識自体もそもそも全然違う。

プールに入らせるかどうかが話題になっていた。
「こんなときにプールで泳がせるなんて」という人は、プールで泳げるようになることの利益と放射能の影響の損益を比較して、プールで泳がせないことを選んでいるのかな。
その比較はあまりしていない気がする。
もしかすると、教育をする立場の人たちは、その二つを比較したうえで、プールで泳げることの意味をもっと重く捉えているのかもしれない。
教育が重要だと思っている人が教育者になるんだろうからね。

そう考えると「彼」と「自分」では線をどこでひくかが違うだけと思いませんか。
一旦そう思ってしまった僕はなんだか大きい声が出せない。

でも、きっとここいら(栃木県北)ではプールには入らせない方がいいんじゃないかとは思う。
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by hoshimasato | 2011-06-09 00:52 | 思考・態度

プレーパークについて。

羽根木プレーパークの会編「冒険遊び場がやってきた! 羽根木プレーパークの記録」を読んだ。
いつか書きたいと思っていたので、この機会にプレーパークについて書こうと思う。

プレーパークって何?
プレーパークとは…と僕が語るより、実際に世田谷プレーパークに行ってきたときの写真があります。
まず見てみてください。
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何を感じましたか?楽しそう?危ない?いってみたい?

あえて最後に取っておいたんですが、プレーパークにはこのような大きい看板があります。
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もう、これ以上語ることはない気もします。

僕もいつかプレーパークを大田原につくりたいと思っている。
東京は、自然が少なかったり、意図的に作り出さないと子どもたちに望ましい環境が与えられない、と思い意図的に作り出してきた公園やプレーパークがある。
都会と違って田舎は危機感がないかもしれないけれど、子どもたちがどれだけ自然の中で、自由な環境で遊べているかといえば、もう数十年前の都会以上に危機的な環境なのかもしれない、と思う事もある。

さて、プレーパークにいる「大人」が、プレーリーダー。
「冒険遊び場がやってきた!」には、プレーリーダーの役割について、このように書いてあった。以下引用。

その役割は四つにまとめられると思う。
大人の価値観から子どもの遊びをまもる「防波堤」としての役割、子どもの「代弁者」として大人社会に発言していくという役割、不測の事態がおきたときの「相談相手」、そして、子どもたちにタイミングよくアドバイスのできる「しゃべる立看板」、以上の四つだ。


このあとには、「しかし、プレーリーダーの役割はその四つに限られるわけではない」。と続いて、遊びの物質的な環境を整えることが入ってくるのだが、
これらは学童の指導員も同じ役割を担っていると思った。

下の二つは、意識してやっている指導員さんも多い。
僕は、上の二つにもしっかり力を入れていきたい。

・大人の価値観から子どもの遊びを守る「防波堤」
・子どもの「代弁者」として大人社会に発言していく


これは、子どもの遊びについて日々考えていないとできないことだと思っている。
子どものそばいにいないとできないことだと思っている。

僕は大人がもっとこういった視点を持てると世の中が明るくなると思っているのです。
子どもたちにより楽しい日々、幸せな日々がやってくるように、頑張ります。
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by hoshimasato | 2011-05-11 10:00 | 思考・態度
僕は昨日、ツイッターに、

「僕は、今の若い人の多くは、自分の境遇をほとんど「自己責任」で処理していて、自分に降りかかっていることを政治がどうこうしてくれるとも、政治のせいで自分が今の境遇に置かれているとも思っていないと考えています。だから投票しないんでしょう。」

「もちろんある意味で人生は全部自己責任とも言えるけれども、若い人はとりあえずもっと人のせいにして、投票にいきましょう。大きい枠組みの中で自分の生活も規定されているんです。その枠組みは、自分たちで決めないと。あとから、誰かが決めた枠組みを嘆くことになるのは、俺は嫌だ。」

と書いた。
これを書いた時は統一地方選のことを考えていたのだけれど、
書いたあと、このことと原発のことを一緒に考えた。
誰かが決めた枠組みを嘆いているのが今なのかもしれない、と。

池澤夏樹さんが4月5日の朝日新聞に書いた記事を、今日読んだ。
彼の考え方は、原発に対する色々な文章を読んだが、今のところ自分のスタンスととても近い。
http://bit.ly/hLDgEo
彼は「今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってきた。」と語る。

僕らより上の世代の人たちには、僕たちの世代よりも重く「自分たちが選んできた結果」としてこの問題を捉えてほしい。
上の世代にも、原発に反対して声を上げ続けてきた人がいることは知っている。
だけれど、多くの人が望んできた様に社会は変わってきたのだろうし、その結果としてこの原発の災害がある。

原発のことを、「自分が選択した」と思っている若い人は少ないと思う。
僕が生まれたときには、すでに多くの原発があった。
6年前に二十歳になり投票権を得たときから今まで、選挙の時に原発をどうこうするといった選択肢を与えられてきた記憶はない。

でも確かに僕にも責任はあった。
僕は原発の存在や危険を知っていて、それに何も言ってこなかった。
電気を自由に使って、そのありがたみをろくに感じても来なかった。
暗黙のうちに、当然あるものとして受け入れていた。

過去のことはどうにもならない。
だけれど、これから先のことは、自分たちで選んでいかなきゃな。
そして、選んだことの責任も、自分たちで背負っていかなきゃ。
この地震で変わらなきゃいけないんだ。

おそらく、放射能の影響は「わからない」。測定の結果がもっとオープンになればもう少しましなことは言えるのかもしれないけれど、結局「わからない」ままだと思う。
これまでに同じ形の災害はないし、データが少ないし、不確定要素が多すぎる。
人体実験の最中にあると言ってもいいと思う。
どこかの偉い誰かに自分の生活を預け、「安全ですよ」とお墨付きをもらって安心する時代は終わってしまった。いや、実は、終わってしまっていた。
洪水のような情報の中から、「これだ」と思える情報を選び分ける力を身につけなくちゃ。
自分たちの未来を、自分たちの責任で選んでいかなくちゃ。



ちなみに日が変わって今日は、岐阜県の大垣市の市議会選挙がある。
ツイッターで知り合った、佐藤まき氏(ツイッターアカウント@19hz)が、大垣市の市議会議員に立候補している。
http://19hz.org/
彼とは、学童や地方政治などについて、ツイッターでやりとりをしてきた。
大垣の状況や、地域における彼の動きはほとんどわからないけれども、
同じような片田舎の地方都市に住む若者として、彼の主張することにはとても共感できるし、信頼のおける人だと思う。

彼のような同世代が自分の地域のために頑張っていることが嬉しいし、希望を感じる。
僕は大垣市の選挙権はないけれども、彼が当選して、大垣の市議会の中で奮闘する姿を見てみたいと思っている一人です。

さて、明日の夜、どんな結果が出るんだろう。
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by hoshimasato | 2011-04-24 02:06 | 思考・態度
地震後、毎日、新聞やテレビ、ラジオ、ネットなどのいろんなメディアから大量の情報の洪水にまみれて、そろそろ疲れてきた。みなさんもそうなってませんか?

15日に、福祉大で講演があったので聞いてきた。
内容をtsudaったものはこちら。大田原市・国際医療福祉大学共催講演会「放射線と人体への影響」

放射能の話は、聴くときに話し手の立場を考えてしまう。
テレビで専門家が「大丈夫です」といっていても、その人が原発推進派で今回の危機を過小評価してる、だとか。
その逆もしかり。原発反対派がこの機会に、とばかりに原発の怖さを喧伝している、とか。
ひとつのものごとについていろんなファクターがあって、それを出来る限り考慮して情報を得ようと思っているんだけれども、「普通の人」である僕がどんなにがんばったところでたかが知れている。
本当に知りたいのは、今普通に生活することにどれくらいのリスクがあるのか、だ。
今後原発に頼っていくかこうどうかは、もう少し後に話すことだと思う。
今回は、大田原市と福祉大の共催の講演ということで、あんまり政治的なうんぬんを気にしないでいいだろう、と思って素直に聴いた。

僕は、今回の話を聞くまでは「細かい数値までは分からないけれど、がんのリスクが多少高まるくらいだろう」と思っていた。というより、様々なデータや読み解き方を得ても、どこを軸に考えていいのかわからず、中間をとってコレくらいだろう・・・というような捉え方をしていた。
でも、講演をきき、話を信じ、明確な数値を受け入れて、それが自分が思っていたよりもずっと低い数値だったので、安心してすっきりした。
そうしたら、自分がいかに「わからない」「信じられない」という不安の中にいたかが分かった。
いろんな情報を得ても、どれを信じればいいのかがわからない時の心の状態は、情報をほとんど得ていない時の状態とほとんど同じか、むじろ悪くなるんじゃないかと思った。情報を“信じられた”ときに、初めて安心になれたり、すっきりした気分になれたりする。
この「安心」は別な面では危険なものなのかもしれないけれども、他にも考えなきゃいけないことがあると思うので、放射線についてはひとます「安心」することにします。

今回話を聴いて、いろんなことが整理できたのだけれど、知らなかったことがいくつかあった。

テレビで報道される放射線量は、場所によって計測方法が違う事。
数十年昔はこの3月と同じくらいの放射性物質の中で生きていたこと。

そういったことを知らないで、色々考えたってどうしようもないよなぁ・・・。
身も蓋もないことを言うと、一般人がこまごま考えたって、わからないんだと思う。
誰か信じられそうな専門家のことを鵜呑みにしてた方がいいのかもしれない。
僕は今回の講演で聴いたことをベースに放射線のことを考えていこうと思います。


あと、「放射能の胎児影響や二世影響はほぼないにもかかわらず、チェルノブイリの事故の時に欧州各国で堕胎が増えた。チェルノブイリによる一番大きな生命損失は堕胎。四半期の出生数が事故後急激に減少した」という話はなんだか恐ろしかった。

放射線の話とは若干ずれますが…
会場に行って思ったのは、若い人が少ないということ。
放射線は大人より、子どもに与える影響が多いという事なので、子どもを持つお父さん、お母さんは放射能の影響を気にしている人多い。
もっと来ていてもいいはず・・・。
子育て世代に伝わっていないのでは?
僕は母に当日突然誘われて行ったのだけれど、母は下野新聞に載っていた情報を見たとのこと。
回覧板でまわったりもしていなかったので、あとは人づてだったんでしょうか。
こういった情報を必要としている若い人に届ける方法はないのかな。
なんだかちょっとアンバランスな感じがしてしまうんです。

ちなみに今回の事故が起こる前も起こってからも、僕のエネルギーに対する態度はあまり変わっていません。
僕は多くの人と同じように原子力エネルギーや化石エネルギーから自然エネルギーに移行すべきとは考えていたけれども(そりゃそうだ。いうのは簡単)、日本が自然エネルギーのことに全然やる気だしてなくて他の国に遅れを取っていることなんかを知っていて、でも何も行動していませんでした。

今回のことで原発アレルギー見たいな反応している人って、原発の怖さを知らなくて、「なんでそんなもの使ってたんだ!」って怒っているのかな。
僕は原発の怖さをそれなりに感じていたのに、口に出して原発に反対したことはないし、それについて何の動きもとったことがないので、なんとなく居心地が悪い思いです。
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by hoshimasato | 2011-04-18 00:56 | 思考・態度
大田原市と国際医療福祉大学が共催した講演会、「放射線と人体への影響」を聴いてきました。

講師・演題は次の通り。
山本智朗氏 国際医療福祉大学 准教授 「大田原市の放射線量について」
鈴木元氏 国際医療福祉大学クリニック 院長 「放射能の人体への影響について」
久保敦氏 国際医療福祉大学 教授 「放射線被ばく ―医療被曝の視点から―」

講演をを聴きながらiphoneでtsudaったものをTogetterでまとめました。
http://togetter.com/li/124638
参考にしてください。

僕なりのまとめは、「福島の原発の状況が悪化しない限りは気にすることは何もない」です。
最近思っていることなども一緒に書きかったのだけれど、夜遅いのでまた明日にします。
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by hoshimasato | 2011-04-17 01:36 | 思考・態度
自粛と南下と買いだめ。
最近話題になっている3つのことについて、僕が考えていることを書きたいと思う。
どっかの誰かがすでに似たことを書いているはずだけれども、僕なりの考えをまとめる。

まず、自粛について。
とくに大きなイベントなどの自粛について。
慮る必要があるのは、どこまで、いつまでなんだろうか。
ある意味いつまででも、であり、昨日まででもある。ラインなんてない。
自粛をする人たちはその人たちなりの苦悩の末の決断なのでしょうからしょうがないとしても、自粛を求める人たちはなんなんだ。
自粛はあくまで「自」粛なのであって、「自粛せよ!」という発言は意味がわからない。

自粛以前に、会場が使えなくなってしまったり、交通のことを考えると断念せざるを得ないイベントというのはたくさんあると思う。5月に大田原でやるはずだった、県の学童保育研究集会も、会場の都合等で、延期(中止もありうる)が決定した。
ひとつのイベントが行われないということは、そこに向けて努力してきた多くの人の失意を生み出すということ。
だからこそ、個人的にはやれるイベントはやって、多くの人に元気になってほしい。

どこかでみんな日常に戻らなくてはいけない。
被災地の気持ちを考えることが、日常にならなくてはいけない。
日常に戻りながら支援を続ける、という事をしなくてはいけないと思うわけです。
災害を受けた地域の復興は長期戦。
被災地が元に戻るまでずっと非日常を生きるという事は不可能でしょう。

また、被災地以外の人々の生活のことも気になります。
たとえば、イベントで食っている人だっているわけです。
時給で働いてお金をもらっている人は、イベントが行われなくと仕事がなくなる。
非正規雇用として雇用されている多くの人たちが、生活費を稼げなくなる。
ひと月遅れてその問題が出てくるとしても、4月、5月には、露骨に顕在化してくると思う。
弱い立場の非正規雇用の人たちが、自粛ムードの中で「それでも給料はもらえるんですよね?」とはとても言えない(僕だって言えないし、雇用する側はそもそもそういう時のために非正規で雇用していると言えなくもないし、雇用される側もそういうものだと思ってしまっている)。

イベントに限らず、飲み会を自粛すれば、居酒屋でバイトしているあんちゃんがシフトに入れず給料をもらえなくなり、ケーキを買わなくなれば、ケーキ屋でバイトしているあの娘が生活できなくなるということ。
苦しくなるのは会社もだけれど、まず生活できなくなるのは時給で働いている人たちです。
ただでさえ計画停電でろくに仕事ができない状態。
(僕だって他人ごとではなく、来週は一度も塾に入れない。この状況が続くとヤバイ。)
自粛でこれ以上多くの人の仕事を奪うのはやめよう。
お金ある人は豪遊でもしましょう。
それだって今回のような災害時に必要なことだよ。


2つめ、南下について。
ネットでは南下する人や、関東を離れる人、国を離れる人を叩く発言がたくさん。
なんで?

どこかに行きたい人は行くべきだ。
特に被災地にいる人は、物資足りないので、動ける人はどんどん南下すべき(避難所もいっぱいになっているので、出来るならば親戚や知り合いなどを頼って)。
南下した人の分だけ、被災地での食糧や燃料が浮き、多くの人が救われる。

この問題の背景には、不安があるのだろうな。
テレビで放射能が安全だ、燃料や食料がなくなることはない、と言われても心から安心はできない。
そもそも放射能のことなんてわからないし、だからといってこの問題について詳しいであろうテレビのコメンテーターのいう事を信じていいのかだってわからない。
明日どうなるかがわからない。
こういった不安が日常の中に入り込んできている。
不安で、その感情をどうしようもなくて、「その不安を払しょくするために移動する」、という選択肢をとれる人を嫉む。そういう面もあるんだろう。


3つめ、買いだめについて。

買いだめに走るおばさん方を「愚か」という人も多いけれど(そういいたくなる気持ちはよくわかる)、彼女たちには守るべきものがあるんです。
被災地の人たちよりも、自分の家族が大事なんです。自分の子どもを守れるのは自分しかいないのです。そんな彼女たちを責められるだろうか。
僕は無理だ。
明日何が起きるかわからない状況では、どちらが「正しかった」かは、明日決まる。
明日「買っておいてよかった」という風になるかもしれない以上は、保険をかけておくことは、合理的な選択と言えなくはない。
各人が合理的に動くと全体のマイナスになるような状況では何が必要?
ルールが必要だ。
「電池は2点まで」だとか「カップ麺は1人5食まで」だとか、そういうものだって一種のルール。店側が「多くの人にいきわたるように」との配慮で置いた、自主的なルール。
ガソリンスタンドでも10リッター制限、3000円制限などはかけているようだが、もっとうまくやれないものか。スーパーでその人の家の冷蔵庫の事情は分からないが、ガソリンスタンドでその車にどれだけ燃料が入っているかは簡単にわかる。満タンの4分の1になっていない人には給油しない、というようなルールを作ったらいいのに。


今は、「戦時」だ。
かつての戦時に、人はどれだけ愚かな行動をとってきたか。
第2次世界大戦、地下鉄サリン事件、911(僕にとっての“身近”な戦時はこの3つ)。
僕は、間違えない様に生きたい。結果的にそれができなかったとしても。
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by hoshimasato | 2011-03-20 02:54 | 思考・態度

地震から一週間

地震から一週間経ちました。
当たり前だけれど、あの地震が日常を支配している。
地震だけだったらまた違うんだろうが、計画停電や原発の状況が僕らを非日常に引きとめる。
いつまで続くんだこの非日常。
次々に覆いかぶさってくる圧倒的な現実に対して、受動的にならざるを得ないというか、全然能動的に動けている気がしないので、ちょっと僕なりにいろんなことを整理したいと思ってパソコンに向かっています。

世界の遠くで起こっていることを無駄にどうにかしたいと思っていることが多いのだけれど、
隣の県で惨事が起きても、何も手が出せませんね。
最初、何か出来ることはないかと思って避難所にいってみたりしたんですが、まだ原発の問題が発覚する前で、避難所には数少ない市内の避難者がいただけで、ほとんどやれることはなく、なんか浮いた感じになってしまって、ちょっと自重。
その後もいろいろとネットやテレビ、新聞での情報を得て思ったことは、俺が今被災地に行っても何もやれんだろうな、という事です。
今すぐ被災地に必要な専門家ではないし、物資を持っていくにもそれらを集める金がない。
僕が被災地に出来ることは、無駄な動きをして道を防ぐことがないようにすることのようです。

でも、ここで出来ることはある。
自分の学童の子たちだって、ストレス抱えて不安になってる。
まずはそこで出来ることをやらねばね。
仕事ってそういう事だ。役割ってそういうことだ。
自衛隊だって消防隊だって、自分の仕事として守れる人を守ろうと努力してる。
俺も俺がやれることをやろう。

地震後、原発の状況もめまぐるしく動いて、
栃木県北も東北の被災者をいろんな避難所で受け入れている。
ここにいても、これから出来ることは増えて行くかもしれないな。

今は、自分達の生活と、被災地が、どうリンクしていくのかを考えているところです。
「食料はどう買うべきか」「燃料はどう使うべきか」そういった、普段なら考えないであろう行動の一つ一つを問い返している。
(いやいや、それは、非常にわかりやすい図式で表わせるからみんなが一斉に考えているだけで。
もともと自分の生活というのは遠くの誰かの生活と切り離せないくらい強く結び付いてしまっているんだ。)
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by hoshimasato | 2011-03-20 02:38 | 思考・態度

書きたいことは

書きたいことはこういうことじゃなくて。
違う道筋を辿らなくちゃいけない。
明日から軌道修正します。

もっともっと書きたいことがあるんだよ。
もっと素直に。
怖がらず。
ちっぽけでいいじゃないか。
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by hoshimasato | 2010-12-16 03:56 | 思考・態度
うちの地域では、60歳になると、学童を辞めてしまう人が多い。
その理由を聞いてみると「子どもの遊びに体力的についていけないからだ」という。
(まあ、シルバー人材のみで学童をやっている地域もあるんですけどね…)
だが、いろんな昔遊びを知っていたり、工作や編み物が得意だったり、学童の中でまだまだ活躍できる場所がある人たちが学童から去ってしまうのはもったいない。

働いている層が同じ年代なので、似たような役割を求められてしまうという状況があるが、もっといろんな年代の人が入って、それぞれに適した役割分担を行えば、もっと高齢の層だっていられるようになるのではないか。

例えば、
若い人が遊びの中(特に外遊び)に積極的に入っていって、
中年層が学童の屋台骨として全体を把握しながらバランスをとって動き、
高齢者層は、室中での遊びやものづくりを受け持つ。

チラリとどこかで聞いたのだけれど、アメリカの保育では、年代別の役割分担をしたりするらしい(ずいぶん適当)。
多分違う言葉で説明されたと思うんだけれど、僕の中で勝手に納得してしまったので、僕なりの解釈でまとめると、
20~30代の指導員は、子どもと似た立ち場、共感的な役割。
40~50代の指導員は、子どもに厳しい立場、指導的な役割。
60歳以上の指導員は、子どもに優しい立場、受容的な役割。
こんな感じだったと思う。

それぞれが力を出せる場所で持てる力を発揮する。
そんな形の学童にしていけたらいい。

まあ、細かい話は置いておいても、子どちいきもたちもいろんな年代の大人と接しながらの方が、いい感じに育つ気がしません?

続く
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by hoshimasato | 2010-12-14 23:59 | 思考・態度