思考・態度

「なんで学童保育の指導員をしているのか?その23」

ではまず、大枠を提示しておきたいと思う。
「若い人もいたほうがいい理由」を、3点あげ、それについて詳しく説明し、結論として若い人“も”学童にいられるようにすることの意味について話そうと思う。(昨日は『「若い人“も”学童保育にいるべきだ」ということを主張したい。』と書いたが、自分が思っているより強すぎる表現になってしまっている気がしたので柔らかくしてみた。)

①子どもが安全に安心して過ごせる居場所を作る、という学童の目的を達成するため。
②常に、“現在働いている親”に共感的な学童を作っていくため。
③高齢になっても学童保育で働ける人を増やすため。

それではまず一つ目の、
『①子どもが安全に安心して過ごせる居場所を作るという学童の根幹を達成するため。』
について。

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「わが子が健やかに育ってほしい、自分(親)も安心して働き続けたいという人間としてごくあたりまえの願いから生まれたのが学童保育です。
 親のいない放課後や長い一日の学校休業日、「もし急に病気になったら・・・」「もし交通事故にあったら・・・・・・」「火の始末は大丈夫かしら」といった安全面からの不安や、一人で過ごすわが子のさみしさ、心細さを思い、このまま「カギっ子」にしておいてよいのかという心配、わが子に生き生きとした生活をおくらせたいと願う親としての責任と愛情から、親たちは学童保育を求めてきました。」
(全国学童保育連絡協議会「テキスト 学童保育指導員の仕事」より引用)

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僕自身は、小さい頃に学童には通ってはいなかった。
だけれど、学童について書かれた本には必ずと言っていいほど書かれている、上記の引用のような部分を読むと、いつも小学校3、4年の時のことを思い出す。
誰しも自分の経験を軸に想像力を組み立てていくものだと思う。「学童がどうあるべきか」を考える際に、それぞれが幼少期にどんな放課後を過ごしていたかというのはとても大きく影響する。
なので、僕も僕のことについて少し書こうと思う。

当時、父親の仕事の都合で宇都宮に住んでいて、核家族でアパート住まいだった。
学校から帰ってくると、母は3番目の弟を幼稚園に迎えに行っていたためか(ちなみに当時は両親と4人の兄弟)、家にいないことが結構あった。
帰ってきてランドセルだけおいて、すぐに友達の家や学校に遊びに行くというパターンが多かったのだが、夕方、友達の家から帰ってきても母がまだ帰ってきていない、ということがあった。
僕は夕方、両親のいないアパートにいる、というのがなぜだかすごく怖かった。
大体は弟と2人でいたはずなのに、それでも怖かった(弟は怖くなかったのかもしれないが)。
妙に静かで、なんだか空気が重い気がして。怖い想像がどんどん膨らんで。
(当時うちはテレビがなく、まだゲームも買ってもらえなかったので、その静寂を埋める手っ取り早い手段もなかった。)
で、2番目の弟と2人で家の前の駐車場に出て、通る車の数を数えるなどして母親を待っていた。
帰ってきた母親に「家に入って待ってなさい」と何度も言われたのも覚えているけれど、そうしなかった。

自分はそういう思いをしてきたけれど、自分の子にはさせたくないという気持ち、とてもよくわかる。
もっと自立させるべきだ、という話があるけれど、あの頃にアパートで不安な思いをして待っていたことが僕を成長させたとはとても思えない。

続く
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by hoshimasato | 2010-12-08 23:59 | 思考・態度 | Comments(0)

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